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HSPの私が「リトル・フォレスト」を見た感想

最近心がつかれた実感があって、
ずっと気になっていた映画「リトル・フォレスト」をNetfllixで見た。
(とりあえず夏編だけ)

冒頭の
高温多湿の空気を ヒレをつけて 海のように泳いでいく妄想や
手のひら、そして全身から雑草が生えてくる妄想のシーンから、
とても想像力が豊かな主人公だと感じた。HSPっぽいなと感じた。

(わたしも、よくそのような 妄想をしてしまうので。)


都会に疲れて、田舎に引っ越して農作業をして暮らしている「いち子」。
都会より不便なことが多くて、虫もいて、自給自足の生活だけれど
私にはとても心地よさそうにみえる。

グミという木のみの ジャムをつくるシーンで、
「料理は心を移す鏡よ」 と母親から言われた言葉を思い出す いち子。
濁ったジャムをみて、これが今の私の心の色か…とつぶやく。

まどマギのソウルジェムみたいだと思った。
(にごりきったら壊れてしまう点では一緒か、とも思う。)


酸っぱくできた、グミのジャムの味は、
いち子の過去の思い出に対しての やりきれないような気持ちを表しているように思えた。



イワナを川へ移すバイトをして、
その報酬として イワナの塩焼きを食べるシーン。

生きている魚を気絶させて、口から串をさしていく映像をみて
自分の口に串をさされていくような感覚をおぼえた。

命の大きさは同じだと、小学校の頃に教わったけれど
人間はなんて残酷なんだと こういうシーンを見る度に思う。

こんな風に考えてしまうと、何も食べられなくなってしまうのだけど。


幼い頃から、それを受け止めきれずにここまで生きているな、と思う。
普段は気にしないで食べられるけれど、一度気になると心が抵抗してしまう。

人間一人が生きるために、いくつの命を奪っているのだろう。
ただぼーっと過ごすだけでも、命を頂いていることに対して 申し訳なくなる。

生きるためには命を頂くしかないんだよなぁ、と。

私が食べなくても、誰か他の人に食べられてしまうのなら
ありがたく、感謝をして命を頂きたいとも思った。


自然豊かな田舎の中で、工夫をしながら楽しんで生きている いち子を見て、
うらやましいと思いつつ、私にはここまで自然と共にに生きられないとも感じた。

1からジャムを作ったり、野菜を自らとって調理して味わったり。
トマトを栽培してホールトマトをつくったり。

そこはとても楽しそうだけれど
虫は大の苦手だし、夏の暑さがどうしても耐えられない。
夏の暑い中、汗を拭いながら 畑仕事はできないなぁと思う。



たぶん、私は もっと自然に触れた生活がしたいんだと思う。
トマトを育てたり、季節のお花や植物を愛でたり、旬の食べ物を楽しんだり。

ぼんやりとした理想に向かって、今 何かできることはあるだろうか。
季節のお花でも 自分のために部屋に飾ってみようか。
自然にふれるために 公園にでも行ってみようか。

私はどうやってこれから 暮らしていったらしあわせなんだろうか…。

自分の理想を みつけるのはむずかしい。。


とりあえず、リトル・フォレストの続きでもみて、
自分の生きたい姿を見つけようと思う。

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