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11年が経って

久々のnote更新です。
「30日チャレンジが終わった途端、更新しなくなって!」と言われそうな気がしますが、言い訳させてください。今は地方文学賞に応募しようと思って、頑張ってます!

さて、今日はやっぱり、更新したいなと思っていました。

普段、毎日、あの日のことを思い出すことは正直ありません。
あの当時は、毎月11日が来ると、「あれから●ヶ月が経ったんだなあ」と自然と思っていました。毎日、いろんなことを思っては、苦しくなったり、開き直ったり、何故か泣いてしまったり、とりあえず感情が自分でもコントロールできないような、そんな感じでした。

それでも、今日という、3月11日は違います。
この日は、やっぱりあの日のことを思い出しては、色々思うところがあります。

私は、あの日以降、初対面の人に、「自分の出身地」について自分から話すことをしなくなりました。話したとしても、詳しくは言わないで、「東北出身」とか濁して言うようになりました。

なぜなら、出身地の話になると、自分が話そうとしていなくても、震災の話になってしまうからです。

あの日以降、「宮城出身」というと、大体次のような会話の流れになりました。

「宮城のどこ? 仙台?」
「仙台じゃなくて、仙台より上の方だよ」
「そうなんだ〜。え、でもそしたら震災大変だったんじゃない? 大丈夫だった? 津波とか?」

素直に「家が流されちゃったけど、家族は大丈夫だったから、うん、平気だよ」と答えたとしても、「なんか、ごめんね」と大抵いわれます。
その「ごめんね」、が何度も続いて、私はいつから自分の出身地を、初対面の人には自分から話さなくなりました。

相手は何も悪くないです。
「ごめんね」、って言ってしまう気持ちもわかります。まさか話を振った相手が被災者だと思わないだろうし。

震災というおかげで、それまで知る人ぞ知るまちだった地元が、皮肉ですが、有名になってしまいました。震災の被害が知られないのはそれはそれで嫌だけれど、「被災地」という効果で有名になったことが、本当に些細なことだけれど、自分にも影響があったんだな、と思いました。

今は、昔に比べたら、東京で、地元の話をすることができるようになった気がします。
私の仕事で関わる周りには、震災前から、地元と関わっている人がたくさんいて、「被災地」ではなく、純粋にその「まち」を知ってる人がたくさんいます。

地元は好きです。海も好きです。
でも、たまに苦しくなるときもあります。
自分の家の跡地には、高い、高い、防潮堤が出来つつあって、私が16年間過ごした場所には、もう二度と立つことができません。
東京から帰省するたび、変わりゆく町並みと、昔の町並みの記憶が思い出せないことに、苦しくなるときもあります。

いつか。
まだ、胸を張っては沢山の人に言えないけれど。
自分の地元がこんなにいいところだよ、
だいすきな場所だよ、
と、言える日が来ますように。

それが言えるとき、私のなかで、震災から解放されるときなのかな、とおもいます。





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