外傷性難聴と血尿の小4地獄(先生から虐待を受けた話)2
先に1から読んでいただく方がわかりやすいと思います。
6.母が先生の自宅へ行く
母が私の話を聞いてすぐ、先生の自宅に電話してアポをとり話をしに行きました。母なりに、娘がこういう状態になったのを見て憤慨しての行動だと思いました。しかし数時間して戻ってきたときに母が
「先生にいうことは言ってきたけど・・。愛子も本当はその子が嫌いでやったんじゃないんだよね?」
と言いました。
お母さんもそう解釈するんだ・・。そうだよね。
自宅に家畜を飼っている男子児童の机に初めて話したクラスメイトと楽しさのあまり、何も考えず絵をかいてしまった事実があります。
私にも全く落ち度がないわけではない。
だけどそれでも先生に暴行を受け、耳が遠くなり、体にあざができて。膀胱炎になったのは辛かったことを母には少しでも察してほしかった。
「ママは愛子の味方だよ!」と言ってくれたことだけは少しホッとしました。
でも
(・・・お母さんも結局、味方にはなってくれないのか。もう、だれも、この世の中に味方はいないんだ。。)
と絶望的になりました。
お母さんは私の話を聞いても、先生の話を聞いて私を疑ったのでした。
他の家族では
双子の妹は昔から私を敵視していて、(今もだけど)私がこうして先生から殴られたり、名前を呼ばれない姿を見ては
「ははっ!ばっかじゃない!あんたがうまくやらないからよ。昔から【とろえ】だからたい。」
「あんたのそういうウジウジしてるところが先生に嫌われたっちゃないと?」
と言って嘲笑うだけでした。
7.父も母も同情しただけで解決はしてくれなかった
母から話が行ってるとわかっていたけれど父にも同じ話をしました。
(父なら少し、わかってくれるかもしれない)
父は酒飲みで荒くれもので、酒を飲むと母に絡み大げんかするルーティンでしたが、私たちには時にやさしかった。
私の辛い思いを話してみよう。私の気持ちも、この誤解も何とかなるかもしれない、という期待を込めて。
父は一通り私の話を聞いた後
「よし、俺が出て行ってやる。その小学校に俺の同級生が先生してるけん、そいつに話付けてくる!」
と言って家を飛び出しました。
私の担任の先生ではなく、自分の高校の同級生で現在私の小学校の教諭をしている先生に話に行きました。
そして数時間後、楽しそうな顔をして酒を飲んで帰ってきました。
(言い包められたのだな)と思いました。
膀胱炎が治って、再び学校に行き始めた日。(二週間くらい休んだ)
父が先日酒を酌み交わした高校の同級生同和推進担当教諭と、担任の先生が自宅にやってきました。
家に上がり、私もいる中で先生方は煙草をすぱすぱ吸いながら
「この度は申し訳ありませんでした。」
と謝罪しました。
聞くと父の高校時代の同級生である同和推進教員の推薦で、担任はこの小学校に新任として着任できたとか。やっと正職員になったとのことでした。
(俗にいう同和コネクションだよね)
父は家に高校時代の優等生だった同級生(現在教師)が自宅に来たのがうれしかったのか、酒飲み相手ができたからなのか知らないけど
「まぁまぁ、ちょっと飲まんですか?」
といって酒を勧め、結局先生とうちの親の飲み会になりました。
担任は飲まなかったと思いますが。
そして父の同級生の教諭が帰り際に
「この件は、俺と愛子父さんの仲に免じて、こいつを許してもらってよかでしょか?こいつ(私の担任)もまだ新任で将来のあっけん。
そして、この話はここで止めてもらってよかですかね?
他んところ(教育委員会)に話のまわるとまずかけん。(笑)」
と言ってきました。
酔っぱらって上機嫌の父は
「もちろんたい!お前と俺の仲だけんな!」
と言って終わりました。
…私だって将来があるのに・・・
結局父も母もあてにはなりませんでした。
今の私がもし自分の両親なら、県の教育委員会に正式な書面を作って直訴したと思います。
事実の確認をきちんとしてもらって、先生が私や二人の女子生徒に適した対応をしたのかどうか諮問してもらったと思います。
先日の娘の件でも学校に対して書面でお願いしました。
(私のようにひどくなかったし、娘の相手は子どもだったので学校のみでしたが)
思い出すたび親に腹が立ちますし、悲しくなります。
が、時代も時代だし、父も母も当時30代前半で若い両親だったのもあり親としては未熟だったのだなとは思います。
その話を最近話すと母は
「私たちも一生懸命あんたを育ててきたっだけん!足りんだったかもしれんけどね。でもあんたがよか旦那さんと熊本ば離れて、子どもたちも育って悠々自適に幸せに暮らしてるけんよかたい、でしょ?」
とはぐらかされました。
また脱線しましたが(笑)
その一件が終わって、私も普通に学校に行くようになりました。本当は行きたくなかった。でも学校に行かないと勉強についていけなくなるのが不安。そして陰口を言われるのも嫌だ。事実が勝手にねじ曲がる(もうすでにそうだけど)のはうんざりだ!
友だちがいなくても本を読んでいれば何とかなると思って休み時間は図書室にずっといました。それから何かを「読む」のが大好きになりました。
その後。
小学校4年の時担任だった被差別部落出身の先生は1年で阿蘇の小学校へ転勤になりました。
8.小学校卒業式後に起こった初めてのフラッシュバック
時は経ち、卒業式を終えた日。
謝恩会の席に例の先生(小4の時の担任)がお祝いに来ました。
久しぶりに会う先生に男子たちははしゃいで大声をあげていました。
「わ!4年の時の◎◎先生の来とるばい!!」「うそうそ!やぁぁあ!なつかしか!」
尻目に私は
(今更何しに来たんだよ、もう顔も見たくないのに)
と思い、なるべくその先生を見ないようにしていました。
しかしその先生が視界に入った瞬間、楽しかった謝恩会の会場が突然真っ暗になり、再び小学校4年の時、ロッカーに叩きつけられてうつ伏せで倒れ動けなくなった時の掃除が行き届いてなくてべたついた教室の床が、自分の涙でゆらゆらしている情景が目の前に広がりました。すると同時に具合が悪くなって、ふと横になったのを覚えています。おいしそうな食事も一切見えない。ただ真っ暗な空間と茶色の床だけが見えるだけでした。
時間は一切解決してくれていませんでした。
あれから 2年も 経ったのに。
少しして、落ち着いてから同席していた母に事情を話し
「あいつが来たからもう帰らせてほしい。一人で歩いてでもいいから帰りたいとだけど。」
と言いましたが
「(双子の)妹もいるとだけんあんただけ帰るわけにいかんでしょ。私は学校給食してるけん後片付けもして帰らにゃんけん。ちょっと我慢しなさい。待っとって。ね?」
と言われその場にとどまることになりました。
(早く帰りたい、辛いよ・・・)と思って下を向いていたら不意に肩を叩かれました。
振り向くと、あいつ(小学校4年の時私を床にたたきつけた先生)でした。
「どうしてももう一度、ちゃんと謝っておきたくて今日は謝恩会に伺いました。許してもらえるなんて思っていません。でも謝りたくて。あの時は本当にごめんなさい。」
とみんなの前で泣きながら土下座をしました。
・・・・・。
謝恩会で。
やっと嫌な思い出とこのくそみたいな小学校とさよならできる、と思っていたのに。またここで思い出さなきゃいけないの?
私とそいつと母はいつのまにか謝恩会に出席した保護者と児童みんなに囲まれていて
「許してあげなよ、愛子。先生も謝ってるじゃん!」
「そうだよ、泣いてるじゃん先生が」
という声とともに、許さざるを得ない状況になりました。
私が
「はい。わかりました。わざわざありがとうございました。」
といった瞬間に拍手が湧きました。
帰りに母に
「あれはパフォーマンスだと思う。あの件が公に出るとまずいからダメ押しにきたんだよね。そしてあの暴力は謝って済むもんだと思ってるんだね。私は一生許すことはないと思うし、先生という職業の人を信用することは生涯ないね。」
と言いました。
母は
「あんたがそう思うならそうだろたい。ホント嫌ねあいつ。もう忘れよ忘れよ!」
と言いました。
7.あれから35年
あの経験があったからこそですが。
「先生という職業は聖人君子ではない」
「いじめは加害者にも被害者にもなってはいけない」
「もし自分の子どもがいじめ被害に遭ったら全世界の人間を敵に回しても死ぬ気で守りぬく」
は私の中で決定的なものになりました。
その点ではあの暴力教師に感謝しています。
被差別部落の真ん中にあったという特殊な環境の小学校に通ったことも。
自分の息子や娘を守る知識を身につけたのも、過去の痛みがあったからこそだと思います。
でもね
ずっと右耳が聞こえにくいのです
大人になっても何度も耳鼻科に通いました
寝ていてもストレスが溜まっている日は
フラッシュバックして汗だくで起きることがある
先日も娘がいじめられていると報告書を学校に作成して提出した夜
フラッシュバックが起きました
35年経った今でも です
心にも体にも負った傷は一生消えない
いじめも暴力も 加害者は忘れるけど
被害者は一生忘れない事を覚えておいてほしい
お前らがやってることは周りに見えない犯罪なんだと自覚してほしい
あと何年生きるか、わからないけれど。
この記録を残せてよかったと思います。
私が亡くなった後でもいいから娘や息子たちにも考える機会ができればいいなと思います。
あ、ちなみに。
私に暴力をふるった小学校4年生の時の担任の先生ですが
ま だ 熊 本 県 内 で 小 学 校 の 先 生 を し て お ら れ る よ う で す よ。
来年あたり定年、くらいではないでしょうかね。
あと、私の家に虐待教師を連れてきて半笑いで謝罪した先生は菊池市の教育委員長になられていたようです。
あの頃の事、隠蔽してよかったですね!
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