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書評:プーシキン『オネーギン』

プーシキンに見るロシア文学による民衆の一体性の喚起とは?

今回ご紹介するのは、ロシア文学よりプーシキン『オネーギン』。

後世のロシアの文豪達に多大な影響を与えたプーシキン。今回は彼の『オネーギン』を見ていきたい。

本作は原文は韻文小説だとのこと。残念ながら私はロシア語は全く分からないので、散文訳を読むしかなかった。ただそれでも十分に楽しめる作品だと思われる。

主人公は、青春を無為に生きるオネーギン。激しい倦怠の虜であった彼だが、かつて彼に恋をし彼に打ち捨てられた清純な少女タチヤーナと数年の後に邂逅することに。この出会いを機に悔恨に打ち拉がれていたところ、そこへ止めを刺されてしまうことが起こる、というストーリーだ。

場面がちょくちょく変化するところもありながら、歯に衣着せぬ毒舌が痛快であったりなど、軽快なタッチで読んでいて肩の凝らない作品だ。熟成された、練り上げられた作品とは対照的な、迸り出るような作品と言えるかもしれない。

これは完全に私見なのだが、オネーギンというキャラクターを文学史的に見れば、レールモントフ『現代の英雄』のペチョーリンや、ドストエフスキー『悪霊』のスタヴローギンの前身と見ることもできるのではないかと思われる。

表面的な大胆さや倦怠、決闘に挑む瞬間に垣間見せる虚栄心などが、彼らを結び付けるように感じられる。

更に私見続きだが、プーシキン以前のロシアでは、そこに存在した暮らしの単位は村落的共同体の点在、即ちテンニースが言うところの「ゲマインシャフト」的社会だったのだろうと思われる。こうした社会では、国家・国民という意識は未だ民衆には成熟していなかったことが伺われる。

テンニースは「ゲマインシャフト」に対を成す「ゲゼルシャフト」という社会形態を提起した上で、前者から後者への変化は産業の発達とそれに伴う都市化、その先に国家に収斂されていくとした。

しかし、社会形態の変化のみで民衆の意識・感覚の変化をもたらすには世代交代レベルの時間がかかる。

そんなロシアに現れたのがプーシキンだったのかもしれない。プーシキンの描いた民衆像は「我々ロシア人」という観念を喚起するものだったのではないだろうか。

「Nation-State」としての国家ロシアという意識、さらにはそこに暮らす民衆の「同一民族としての一体感」という意識、即ち民族的アイデンティティをロシアにもたらしたのはプーシキンという文学の力であったのではないかと思えてならない。

ロシアにおいてプーシキンが偉大である理由はそこにあるのかもしれない。

『オネーギン』と『太尉の娘』はプーシキンの代表小説だと思われるが、それぞれ「陰」と「陽」のような対称性があって、合わせて読むと味わい深い。

読了難易度:★★☆☆☆
恋愛ものとして切ない度:★★★☆☆
ドストエフスキーの筆力片鱗度:★★★★☆
トータルオススメ度:★★★☆☆

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