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書評:リップマン『世論』

政治とメディアを巡る社会科学の古典的名著

今回ご紹介するのは、リップマン『世論』という著作。

リップマンは、アメリカのジャーナリスト・政治学者である。

民主主義政体では「世論」なるものの存在が認められるが、「世論」そのものを取り扱った研究はそれほど多くはない。否、リップマン以後の「世論」論はリップマンのそれから殆ど変化が見られないと言っても過言ではないだろう。

その意味で、本著はその後の政治学・ジャーナリズム論の基礎・方向性を規定した重要な古典文献であると言える。

本著の大部分は、人間の認識基礎論の論証に割かれる。リップマンによれば、それこそが世論、民主主義の実態を論ずるために欠かせないものだからである。

人間は自分が直接経験するのでない、見聞するのでない事象を認識する際、予め抱く先入観・イメージ、それも個人的なもののみならず社会的に形成されたバイアスを介して事象を認識する、とリップマンは説く。

リップマンはこうした認識バイアスを「ステレオタイプ」という概念で定式化した。以下の言葉に、「ステレオタイプ」の特徴が見事に表現されていよう。

「人間は、認識してから定義するのではなく、定義してから認識するのである」

本来、自身が直接見聞し得る狭い世界にしか関心を抱かない人間においてある種の共通感覚が共有されるのは、「ステレオタイプ」という一定の定式化を予め共有する形で社会が構成されるからだと言う。「世論」も「民主主義」政体も、こうした定式化の上に形成されているのだ。

こうしたリップマンの言説は、原初的民主主義議理論が前提としてきた人間像、即ちあたかもあらゆる事象を認識し判断できる人間、という概念に真っ向から反対するものである。原初的民主主義は小さな共同体においてのみ想定し得る観念的なものであり、共同体が次第に大きくなるにつれ、参加する人間が直接認識できない事物が多くなるのは必然だ。それは即ち、事物を「ステレオタイプ」を介して認識せねばならない機会が増大すること、そしてそこで行われる政治がそのものが「ステレオタイプ」に依存したものとなることを意味する。

ここには民主主義に対する深い絶望感を伺うことができる。人民による自己統治は所詮幻影にしか過ぎないとでも言うように。

しかし本著は民主主義の実態を暴くことに終始するものではない。如何にしてこうした状況を打開し、理念としての民主主義の実現へと向かうべきか。その提唱にこそリップマンの心血が注がれている。

リップマンは、情報を集積し、社会を分析する組織の確立と定着化こそが、人間が直接知見し得ぬ事象の認識の精度を向上させ得るものだと主張する。日本政治学の泰斗佐々木毅先生は、「これは情報を司る行政主導的・エリート牽引的民主主義という、民主主義の根源的問題へのアメリカ的な解答である」と看破している。

佐々木先生の鋭さには脱帽だが、現代のような高度な情報社会の到来を想像だにし得ぬような時代に、情報管理の重要性とその機能のあり方の具体的な提言に力点を置いたリップマンの先見性にも驚くばかりであった。

こうした提言は、是非以前に、まず何が限界であり問題であるのかを明確にすることから始めなければ立論もままならない。本著が論理的にも高度な一貫性を担保しているのは正ににその点が徹底されているが故であると言えよう。

政治に直接携わらなくとも、政治を論じる人に取っては、必読と言える著作だろう。

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さて、以下は雑談。
メディア批判について思うこと。

リップマンの人間認識基礎論に基づくならば、人間は自分が直接見聞し得ぬ事象を「ステレオタイプ」に合致するように把握するということになる。

これはメディアの側から見ても無視することのできない条件である。即ち、メディアの言説すらも社会に共有される「ステレオタイプ」に合致するものでなければ受け入れられないということを意味する。

であるならば、実はメディアはむしろ、社会に共有される「ステレオタイプ」を強化する方向に機能することになろう。

そうだとすると、今日よく見られるメディア批判はこの点を全く認識しないものが多くはないかと思えてならない。具体的には、メディアが本来有して当たり前である、事物の取捨選択や主張の偏向など、それ自体を批判する安直でナイーブな言説が多過ぎるのではないだろうか。

それらがメディアの本来的性質であることを全く認容しない、取捨選択自体・偏向自体への批判は、原初的民主主義理論が人間の認識能力への過度の期待に立脚するのと同様、メディアの原理的限界を許容せぬ非常にユートピア的な的外れなもの、と言いたくなるのだ。

読了難易度:★★★☆☆
政治学古典上の重要度:★★★★★
リップマンという名前だけならドラクエのモンスターリップルを連想しちゃう度:★☆☆☆☆
トータルオススメ度:★★★★☆(ホントは5としたいがニッチなので)

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