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書評:ヘッセ『シッダールタ』

ヘッセが仏教に見た「全てはつながっている」という世界観

今回ご紹介するのは、ドイツ文学よりヘッセ『シッダールタ』。

本作は、釈迦が悟りを開くに至るまでの人生遍歴をヘッセ一流の想像力で綴った作品である。

まずは概要から。

バラモンの才英として育てられたシッダールタは、沙門の門弟として悟りを求め旅に出る。旅先で先人の仏陀と出会う事で、教えを請うことでは悟りは得られぬものと決意し、彼は世俗に身を浴すことになった。世俗での経験は彼に吐気を感じさせる程のひどいものであったが、結果彼はこの経験から小我を乗り越え大我に至る道を切り開くこととなる。その後、川渡しとして生活し、川との会話の中から「知識」ではなく「知恵」を学ぶ人生を歩んでいく。

浅薄ながら私の仏教知識に照してみるに、小乗仏教と大乗仏教を隔てる最大の要素は上記の「小我」と「大我」である。

小乗仏教的な「小我」は己れの悟りを目指すことが目的であり、関心の的はあくまで自身である。

対して大乗仏教的な「大我」とは、自己のみならず一切衆生に仏性を認め、それを尊ぶ精神である。詰まるところ、関心の対象は自他を含めた全体であり、生命あるもの全ては繋がっているという発想に立つ。

本作では両者の本質的な違いが見事に表現されている。

また、森羅万象をあるがままに認めるのも大乗仏教の精神であり、この作品ではシッダールタは川との対話によりそれを体得していく。ここにもヘッセの深い仏教理解が感じられた。

思うに、宗教というものは、その教義が示すところの世界観が正しいか間違っているかという法論以上に、そうした世界観を受け入れた時にその人の振る舞いが如何なるものとなるか、その人の生き方が如何なるものとなるか、そうした人生への影響を以って優劣が存在するのではないだろうか。

小乗仏教的「小我」には、自他の峻別がある。自己と他者が対峙すると考える伝統的な西洋哲学は広い意味で同種の世界観と言えるのではないだろうか。

対して大乗仏教的「大我」には本質的に自己と他者を峻別しない。全ては繋がっているという世界観に立つ。例えば皆がこうした世界観を抱くコミュニティを想像した時、そのコミュニティは人に非常に優しい、温かさを備えたものになるのではないだろうか。

私自身の人生観を考えた時、この作品は読後大きな影響を与えてくれるかもしれないと感じたほど、素敵な作品であった。

読了難易度:★☆☆☆☆
仏教的な愛(慈悲)をイメージできる度:★★★☆☆
私個人の周辺調査によるヘッセの中で一番人気度:★★★★☆(私自身は『知と愛』と良い勝負で1位か2位)
トータルオススメ度:★★★★☆

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