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書評:カフカ『変身』

奇妙な設定下で変わったのは「どちら」なのか?

今回ご紹介するのは、ドイツ文学であるカフカ『変身』。

初読は18歳くらいだったが、25年振りくらいに再読した。

はじめに余談からとなるが、主人公グレーゴルが変身する「虫」を、初読の際に蜘蛛のような姿と想像したのだろうか、てっきり蜘蛛だと思い込んでいたのだが、記憶違いであった。
何とははっきりしない抽象性のある「虫」であった。

それはさておき。

本作は、主人公グレーゴルがある朝起きたら「虫」の姿になってしまい、家族との関係や家族のグレーゴルに対する感情が激変してしまう、という物語である。

初読の際の感想の記憶は、グレーゴルが「虫」になったことで、家族(父、母、妹)のグレーゴルに対する感情が激変してしまう様子の冷たさ・残酷さに慄いた、というものであった。

しかし今回再読してみると、もう少し俯瞰で見える構成のようなものがあるように思えた。

グレーゴルは元々(人間の姿の時)、家族の借金の返済のために勤めたくない職場に勤務していたとされる。
勤めたくないというのは、仕事内容以上に、上司との人間関係の息苦しさに理由があった。

つまり人間の姿の頃のグレーゴルは、家族のために我慢し、職場の上司を相手に我慢しと、自分を押し殺して生きていたことが伺える。

そんなグレーゴルは、「虫」になると、「虫」の本能に侵食されてか、我慢というものができなくなっていく。
まだ思考力は残っており頭では家族に気を遣い遠慮する必要があると考えながらも、自分の振る舞いたいように振る舞うことを抑えられなくなる。

つまり、まずは何より、グレーゴル自身の周囲への感情が激変するのだ。
グレーゴルが変わったのは姿だけではなく、それを契機に心が「変身」し、周囲に無関心になっていく。

対して家族の「心の変身」は、グレーゴルと真逆に対置される。

父も母も妹もかつては比較的気ままに過ごしていたことが伺えるのだが、グレーゴルが「虫」になったことで、「耐える」ことを強いられるようになる。
それはあたかも、人間の姿であった頃のグレーゴルの心情そのものだ。

家族は最後、「虫」のグレーゴルから「解放」されるのだが、その際に互いに示し合う安堵の様子が、「耐え」の苦しさが如何程のものであったかを彷彿させる。
そしてその彷彿はそのまま、人間の姿だった頃のグレーゴルの心情の苦しさを推量させるものとなっているように思われる。

このように本作は、「虫」になることで他人に無関心で欲に抗わない性格に「変身」するグレーゴルと、「虫」の登場から「耐え」に転落する家族という、ある意味心情面の立場が入れ替わるという対比構造から成り立っているように思われた。

人間の感情の多くは他者との関係、人間関係に由来しており、人間関係の悩みが人間にとっての大きな苦しみの1つであるという主題が浮かび上がる。

これは、カフカ自身の苦しみの本質だったのかもしれない。
グレーゴルは恐らく、人間の姿だった頃苦しくてたまらなかったに違いない。

しかしそれでも、本作をグレーゴルの「心情の変身(自分本位になる)」と読み、グレーゴルの成れの果てを見るならば、昨今おぞましい程に自己啓発界を席巻する「他人のことなんて気にしないで自分のことだけ大切にすれば楽で幸せ」チックな教条は、「虫」になることを唆す蠱惑なのかもしれないと思わせられるのである・・。

読了難易度:★☆☆☆☆
スルメ度(噛めば噛む程味が出る度):★★★★★
「虫」になることが幸せですか度:★★★★☆
トータルオススメ度:★★★★☆

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