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書評:岩井克人『二十一世紀の資本主義論』

「投機行動」が原理的に孕む不安定性と基軸通貨ドルの危機とは?

経済学者岩井克人による資本主義論、およびエッセイなどを取り纏めた著作。非常に平易でわかりやすい。私は名著だと思っている。

「投機行動」が原理的に孕む不安定性の解明から開始し、「貨幣」の持つ投機行動の純粋化作用の解明を経て、現代グローバル経済の本質的な危機は基軸通貨であるドルのハイパー・インフレーションにあることを論証する。

不安定性とは、「予想の無限の連鎖」を根拠としているということ、そしてその危機とは「予想の逆転」、「信用の崩壊」に他ならない。

現代のグローバル経済は「事実上」ドルを基軸通貨として成り立っており、それは「将来にわたってドルが基軸通貨としての役割を果たすであろう」という予想、もっと言えば、「将来にわたってドルが基軸通貨としての役割を果たすであろうと皆が予想しているであろう」という予想、そうした不安定な予想の連鎖を基礎としている。

非基軸通貨における経済危機は、それが如何に悲劇的であろうともあくまで今日のグローバル経済下では局所的な危機に過ぎず、グローバル経済そのものの破綻をもたらすことにはならない。問題はドルが信用を失った時である。ドルが基軸通貨としての信用を失った場合、グローバル経済は破綻、分断化されざるを得ない。仮に他の通貨がドルに取って代わって基軸通貨となったとしても問題の本質にはなんら変わりはない。しかも通貨発行にはシニョレッジという誘惑が常に付きまとう以上、通貨は信用破綻と常に背中合わせにあるものと言える。

基軸通貨の信用破綻を回避するには、公共的な利益を志向する中央銀行の設立とそれによる統制しかない。しかし、ここにおいて資本主義が本来的に孕む特性が、その解決策への制約として立ちはだかることになる。

資本主義は、原理的に分断化されてきた市場を統合していく方向に働く。現代においてそれはいよいよグローバル市場を創出するまでに至っている。資本主義とは利潤追求の原理であり、自由を求める限りグローバル市場は必然である。

他方、利潤追求の原理は、グローバルレベルでの公共性を志向するという理念に真っ向から抵触する。各国の中央銀行が機能しているのは、他の国家との競争における利潤追求という「外部」の存在が前提にあるからであり、グローバルレベルだと原理的にこの「外部」がなくなることになる。自由に利潤を追求するという資本主義のもとにおいて公共性を志向するには、「外部」の存在が不可欠なのである。

卑近な言い方をすれば、宇宙人が現れない限りグローバル中央銀行の有効な機能は起こりえないであろう。政治的な世界政府の理念の根本問題と相似である。

本著では、その他多数のエッセイなどが収められており、(同じ話の繰り返しが多いものの)本編の理解を助けるような構成となっている。同様の不安定性が「美」論、「芸術」論についても展開されているのがなかなか面白い。

貨幣論については特筆すべき。貨幣とは、それが貨幣として使用されているからこそ貨幣、それが皆に貨幣として事実上認知されているからこそ貨幣だ、という自己循環論に依拠した存在であるという説明については、通貨発行の歴史や信用創造の仕組みを押さえていく上で、何度強調されてもされ過ぎることはないほどに重要である。

また岩井氏は経済学者という職業でありながら、法人論や憲法論など、法学的・政治学的な話題にも切り込んでいる点も、目を見張るものがある。(ここら辺についてはそれほど新しいことは主張されていないけども)。

中でも後者については、九条改正と皇室典範改正をセットの問題として捉える視点は面白い。ここに、「日本における自由の理念と民主主義に基づく所謂市民社会はこれからである」という問題を見るのは正鵠を射た視点である。経済的な概念である資本主義と政治的な概念である自由主義の区別がついていない人にはお勧めである。本著では全く書かれていないが、裏返して考えれば、共産主義と社会主義の概念上の区別と事実上の親和性についても理解できるだろう。


さて、以下は、ノリで書く戯言である。

「アントニオ猪○は何故すごいのか」。
私はこう答える。
「皆がすごいというからすごいのだ」。

「アントニオ猪○のどこがすごいのか」。
私はこう答える。
「皆がすごいというところがすごいのだ」。

岩井克人が貨幣論にて提示する貨幣が貨幣たる所以同様、これは一種の循環論法である。論理の世界の「中」ではこうした論証は何も意味をなさない。しかし一歩論理の世界の外に踏み出せば、循環論法は力を持つ場合がある。要は、循環論が時として事実としての評価や賞賛を生み出すことがあるということである。

「論理的に無意味なロジックが現実においては時として事実を練り上げるという効用を有する場合がある」、これが私の主張の根幹である。私はこれを「アントニオ猪○カリスマ性の原理」と勝手に呼んでいる。大衆社会におけるブームなども意外とこれで説明がつくものが多いと思う。

しかし循環論法には効用があるにはあるのだが、論理的に無意味である以上本質的に不安定である。何かしらの原因により一度不信・懐疑・興味の減退が介入すれば、循環論法によってもたらされた現象はなし崩し的に減退し、金融であれば恐慌を、ブームであれば消費者離れを一瞬にして招く。この崩壊は破壊的である。

資本主義社会においてビジネスに従事する人間は、この循環論法の効用を逆手に取りそれを意識的に利用すること、且つ効用の減退の瞬時性(いわば本質的な不安定性)を常に意識しておくことが求められるだろう。

猪○のすごいところは、もっと突き詰めれば、実はこの不安定性の上に長期に君臨し続けている点にあるのかもしれない。謂わば、「猪○バブルは弾けない」のである。
何故長期に君臨し続けることができているのか。
何故猪○バブルは弾けないのか。
恐らくは幸運にも不信・懐疑の介入が未だ起こらない点にあるのだろう。だがこれは答えになっていない。何故それが起こらないのかが本質的な問いである。この点になると、長きに渡る私の考察の果てに、幸運としか言いようがないと結論付けるようになった。そう、私にとって猪○は、漫画史上最強の呼び声が高い「ラッキーマン」の化身なのである。

斯く言う私も「ボンバイエ」のテーマ曲が流れてくると、「ファイ!・・・♪ファイ!・・・♪」と思わず口ずさんでしまう、循環論法の効用の体験者の一人である。この現象を名付くるにあたって猪○の名前を借用している点にもそれは表れている。

いずれにせよ、論理の中に閉じこもっているだけでは、現実におけるダイナミズムを認知することができないことがままあるのである。

・・・猪○の真面目なファンの方ごめんなさい。

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