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私だって別の生き物になりたい…わけではない。 【書評】我が友、スミス(石田夏穂 著)

第166回芥川賞の候補作となった、「我が友、スミス」の感想です。

主人公の女性、U野は1年ほど前からジムで筋トレを「なんとなく」続けています。そのジムで出会ったトレーナー、O島に誘われ、約1年後に開催されるボディビル大会に出ることに。その過程で、筋トレを始めることになったきっかけを「運動不足云々と歯切れ悪く答え」ていたU野ですが、それがやがて明確になるのです。

そうだ、私は、別の生き物になりたかったのだ。

石田夏穂「わが友、スミス」

そこから、U野の生活はどんどん変わります。髪をのばしはじめ、午後3時になると会社の給湯室でプロテインを飲む。週7でジムに行く。甘いものには見向きもしなくなる。さらに、「ステートメント・ピアス」なるものをつけるために、耳朶に穴をあける、体のあらゆる場所のニードル脱毛(名前からして痛そう)施術、タンニング、化粧映えのためのピーリング、さらには舞台映えするためにラメの入ったビキニ、ほとんど履いたことのないハイヒールを購入、シャンプーとリンスは近所のスーパーの一番安いやつから、ヴィダルサスーンに変更。

大会まで残り40日になると、ポージングのレッスンが始まります。複数のレッスンが行われる中、U野は以下のように言われます。

「でもね、U野さん。もっと笑わないと駄目よ」

石田夏穂「わが友、スミス」

これがきっかけで、以前から感じていたであろう違和感がU野の口から出るようになりますが、結局は従うU野。そして大会当日を迎えます。「別の生き物になりたい」、改めてそう感じたU野はある行動に出るのです。

私もジムにはかれこれ10数年ほど通っています。筋肉、トレーニングが美徳とされる界隈に身を置いている、ということはできますが、あまりその成果は出ていません。運動が好き、ということでもありません。「ジムに行こう」と思っても、天気が悪かったしたら普通に行くのやめるし。それでも退会しないのは、(「モテたい」という思いはそりゃあなくはないですが、)やはりお休み中とはいえデスクワーク中心なので、運動不足を解消し、体重をこれ以上増やしたくない、もっと切実に言えば老化を少しでも食い止めたい、将来、大病することのリスクを少しでも減らしたい、というある種の「抗い」というのが一番しっくりするような気がするのです。

ということで、私がジムに通う理由は「別の生き物になりたい」ということではないのですが、仮に私が体脂肪率1割を切って、裸の写真をインスタにアップし、多くの「いいね!」をもらうことになった場合、それは「別の生き物」になったことになるのでしょうか、となるとそれはそれで違う気がします。U野のいう「別の生き物」とは何なのでしょうか。人間の、現状に満足できないという業のようなものが関係している気がします。

私は昔から虫歯になりやすい体質らしく、かなり念入りに磨いていても、どうしても数年に1度は虫歯が発見されます。ある時、下の歯の銀歯の部分が再度虫歯になった際、歯医者の「(銀歯を作り直すよりも、保険適用外にはなるが)自然な白のセラミックにしてみませんか?」という提案に(その時に臨時収入があったこともあり)応じたのですが、たった1本の銀歯が白くなったことで、それまでは全く気にしなかった、他の部分の銀歯が気になってしまい、結局下の銀歯を数年かけてすべてセラミックにしてもらいました。

一度整形をすると止められなくなる、とは言いますがなるほどこういう感覚なのかと思ったものです。人間の欲望は底無しなのかもしれません。

閑話休題。

さて、この物語の肝は「別の生き物」になろうとすればなるほど、女性という枠にはめられてしまう、皮肉にあると思います。大会に出るには、単に筋肉を鍛えるだけではだめで、前述したようにピアス、脱毛など筋肉以外の部分ではとことん極太のマジックで強調されたかのような女性らしさを求められるU野。その女性らしさは決してU野にとって「別の生き物」ではない。
さらには、以前同僚が何気なく発した「女性は大変ですね」の一言がU野を捕らえて放しません。この違和感と同僚の一言が、U野を大会本番で意外な行動に走らせます。

非常に面白く読んだのですが、なぜこれが芥川賞に至らなかったのか、気になったので選評を読んでみました。紙面が限られているのか、どの選考委員の選評も限られているのですが、私がポンと膝を打ったのが山田詠美氏の「たまたま見たアスリートのドキュメントで、ランチにおはぎを食べて至福を味わう、その食べっぷりを見て、この小説にもおはぎ的なものがあれば」という選評でした。推しているのか推していないのか、よくわからない選評もある中、氏の選評はなぜ推したか(推さなかったか)、いちいち納得できる誠実な選評だと思います。

石田夏穂さん、これがデビュー作なのですが非常に読みやすく、前述したように皮肉も効いた作品だったので、以降の作品がとても楽しみです。

ということで、今回はここまでです。さあ、今日こそジムに行こう。
お読みいただきありがとうございました。


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