20180401191306のコピー

プラトンは夢を見たのか?史実を書いたのか?ーー『先史学者プラトン』より

文筆家の山本貴光さんが訳書『先史学者プラトン』(朝日出版社)を出版されたということで、買わずにはいられず、さっそくゲット。どんな知的冒険が待っているのか、恐る恐る本を開いてみた。

すると、國分功一郎さんが序文を書かれていて、一気に引き込まれてしまった。「考古学と哲学」という序文だ。

◆考古学は哲学をアップデートできるか?

かつては、人類学・民族学が哲学を根本から変えたことがあった。レヴィ=ストロースの登場である。それは「構造主義者」を生み出し、さらに、デリダやドゥルーズのようなポスト構造主義者も生み出した。新しい哲学が生まれたのだ。そのドゥルーズやガタリは、考古学も同じく哲学をアップデートするだろう、ということを述べていたという。『千のプラトー』では、アナトリアの有名な都市遺跡チャタル・ヒュユクに言及しながら、古典的な国家概念についての改造も試みているらしい。それほど考古学を評価していたのだ。前回のnote にも登場したチャタル・ヒュユクだが、『先史学者プラトン』でも重要なようだ。

まだ考古学と哲学の共同作業はあまり実践されていないようだが、考古学の解析技術の精度が高まっていることもあり、大きな動きもある。その一つが「旧石器時代」の再考である。

旧石器時代とは、250万年前くらいから1万年前くらいまでのことを指す。打製石器の使用を始めてから、農耕の開始くらいまでである。『サピエンス全史』における「農業革命」前夜までのことだ。そのあとの新石器時代には、磨製石器が使用され、農耕や牧畜の開始によって社会構造が変化し、文明の発達が始まった。これを「新石器革命」と呼ぶ。歴史で習ったアレだ。

いままでは、新石器時代の方が重要視されていた。それほど大きな変化が起きていたからだ。しかしながら、最近になって旧石器時代が再評価され始めている。國分氏が序文で注目しているのは「マドレーヌ文化」である。およそ前1万7000年/1万5000年から前9000年までの間に南西ヨーロッパで優位を占めた文化だ。あのラスコーの壁画が生まれた場所である。このマドレーヌ文化が本書の重要な鍵となる。

◆プラトンは嘘つきか?先史学者か?

さて、本書の試みはプラトンの2つの著作の検討である。それは『ティマイオス』『クリティアス』という本である。この2冊を現代考古学的に読み解こうという「野心的な試み」だという。なにが野心的なのか?

この2冊の名前を出すだけで、アレを思い出す人も多いだろう、と國分氏は述べている。それは「アトランティス島」についてだ。両著作によれば、かつて「ヘラクレスの柱」と呼ばれていたジブラルタル海峡の向こう側に大きな島があって、そこに非常に強い勢力の王朝があったはず、と書かれている。それが、アトランティス島である。つまり、北大西洋に巨大な島があったのではないか、というまことしやかな逸話である。ここから、たくさんのSFやアニメが創られているので、ワクワクしてしまう。

現在の科学技術で海底を調べてみても、巨大な島があったという形跡はない。つまり、この2作は「フィクション」であると現代の通説になっている。有象無象の喧しい研究によって、この2作は正当な評価を受けてないのではないか、それが著者セットガストの主張である。アトランティス島の有無にこだわるのではなく、もう一つの論点に考古学の観点から取り組もうというものなのだ。

もう一つの論点とは、『ティマイオス』と『クリティアス』で描かれている古代の戦争についての検討である。約9000年前に「ヘラクレスの柱」の内側、つまり地中海世界で起こったとされる戦争のことだ。『ティマイオス』によれば、アトランティス島の王朝はある時、ジブラルタル海峡内の諸国に攻め入り、アテナイ同盟軍は迎え撃ったという。これが本書の第1部のタイトルである「前8500年の戦争」である。

さらに、その勝利の後、桁外れな地震と洪水が起こり、当時のアテナイは潰れ、アトランティス島の海に飲み込まれたという。『クリティアス』によれば、あまりの被災によって、この伝承は継承されなかったらしい。

セットガストはとりあえずアトランティス島のことは脇に置く。その上で、プラトンの言葉を信じてみる。そうすることで新たに見えてくるものがあるはずだ、と彼女は考えたのである。それが検討できるようになったのも、旧石器時代についての検証技術が進歩したからだ。いままでのように旧石器時代のことを甘くみていたら、プラトンの言葉も妄言に見えるかもしれない。しかし、実は想像以上に発展したかもしれない旧石器時代の姿が見えてくると、プラトンの言葉も次第に信じられるものになってくる。つまり、プラトンを嘘つきではなく、先史学者として見てみることにするというのが本書のねらいなのだ。

こんな序文を読んでしまっては、本文が気になって仕方がない。プラトンの業績と著者の挑戦が重なり合って、ひきこまれてしまう。

◆二つの神話と旧石器時代の謎

まず、本文冒頭では、いままでの過ちを振り返る。旧石器時代を見くびっていたという過ちだ。実は想定より8000年早く馬を活用していたこと、すでに宗教芸術や象徴物が数多くあったかもしれないということ、すでに飼育や栽培をしていたことなどが判明しつつあるからだ。それは、「新石器革命」がある日突然起きたという、これまでの考え方を一掃するものだ。「革命」ではなく、実は緩やかに起きていたかもしれないのである。

そこで、旧石器時代と新石器時代の移行期「続旧石器時代」もしくは「中石器時代」という中間期が重要性を増してきたのだ。しかし、その時代のことを考察できる証拠や痕跡はあまり多くない。移行期であるが故に、その不安定な時期であり、説明できるファクトが少ないという。そこで、著者は2つの神話に目を向ける。その一つが、『ティマイオス』と『クリティアス』で描かれている戦争と洪水の神話であり、もう一つが前7千年紀のザラスシュトラ(ゾロアスター/ツァラトゥストラ)の誕生という神話である。この二つの神話と科学的な結論とが一致することが数多く見つかったのである。

つまり、この二つの時代の「革命的」な溝を解明することが本書の目的である。なぜ突然新石器時代になって高度な定住農耕社会になったのか? そもそもそのルーツはどこにあるのか? そういった世界史最大の謎に挑んでいるのだ。

一方で、著者は現在の考古学の姿勢にも疑問を投げかける。たしかに「ニューアーケオロジー」となった考古学は科学的分析力が飛躍的に上がった。しかし、そのせいで、「木を見て森を見ず」な研究ばかりになっているそうなのだ。数値では測定できないものが無視されないよう、「森を見る考古学」への姿勢が本書の挑戦でもある。

本書の第1部ではプラトンの2作を考古学的視点から眺め、第2部ではプラトンの物語を補強するような神話を紹介する。そして、第3部では「洪水後」の考古学を取り上げ、第4部ではチャタル・ヒュユクの遺跡の中にプラトンが失ったと言っていたギリシア文化の衰退の痕跡を探る。最後に、第5部で、ザラスシュトラの存在について検討する。

◆西ヨーロッパのマドレーヌ文化とアトランティス

第1部から第5部までを要約するのはかなり難しい。それぞれが多面的で立体的だからだ。1つを説明するために考古学と神話の両面から検証する。自分がどちらの世界にいるのか見失ってしまうほどだ。

繰り返しになるが、本書の主題は、旧石器時代と新石器時代の大きな溝を解明することにある。定住と農耕を始める新石器時代が突如として現れた秘密である。その検証をするために、本書では大きく分けると3つの勢力(地域)に注目する。西ヨーロッパ、ギリシア、そして、近東である。

西ヨーロッパとは國分氏も取り上げていたマドレーヌ文化のことだ。この文化は、前1万8000年から前1万年くらいにかけて繁栄し、衰退していった。結論からいえば、これは「アトランティス」が衰退していった時期と一致する。これが、ヨーロッパにアトランティスがあったことを証明することにはならないが、何らかの示唆ではあると著者は言う。

前1万3000年ごろ、マドレーヌ文化はヨーロッパに拡大していき、最初は土着の民にも歓迎されていた。しかし、前9600年ごろの文化の衰退に伴って、戦闘が過激化していったと考えられている。これは『ティマイオス』で描かれる戦争と一致する。ヨーロッパで知られるかぎり最初の暴力の誕生である。この勢力はイランや現在のロシア近くまで広がっていたという。

◆ギリシアから逃れた民が行き着いた先

この同時期に近東で非凡な芸術と熟練の技術をもった人々が、パレスチナに住み始めている。彼らの起源は不明だが、「ナトゥーフ文化」と呼ばれている。彼らは、アトランティスの進出によって土地を追われたものたちが定住し、港や都市をつくったのではないかと著者は推理する。その移民たちは、ギリシア地方からやってきたものだった可能性もある。

ギリシアはこのあと大洪水によって壊滅する。生き残ったものは少ないと考えられていた。しかし、近東のナトゥーフに移住していたかもしれないのだ。このあたりの真実は、放射線炭素測定法の精度が上がらないとわからない。(本書では放射線炭素測定法の信憑性の危うさについて何度も苦言が呈される。)

とはいえ、これで旧石器時代時代から新石器時代にかけてのヨーロッパをめぐる興亡が少しずつ見えてくる。西側から順に、アトランティスかもしれないマドレーヌ文化の栄華と衰退、それにより追われたギリシア人、そして、彼らが行き着いた先であるナトゥーフが一直線につながってくる。ざっくりではあるが、この3箇所が本書の肝になる。

◆二つの遺跡からみる近東イランとギリシアの関係

ここから第3・4部の新石器時代に突入する。
では、近東の栄華のルーツはこの一直線のルートのどこにあるのか、という問題だ。言い換えると、近東の文化はアトランティス由来なのか、ギリシアの洪水の生き残りたちが築いたのか、それとも全く別のものか、という問題である。第3・4部では近東の遺跡の繁栄に注目する。前八千年紀末に創設されたチョヨヌ遺跡と前六千年紀ごろのチャタル・ヒュユク遺跡である。

この検証プロセスが本書の醍醐味といってもいい。二色刷りの図版が古代への想像力を掻き立ててくれる。遺跡の一層一層を掘り起こしながら、建築構造や壁画や装飾や風習を丹念に分析する。この冒険はたまらなく古代への想像力を駆り立てる。科学的検証と表象的想像力を行ったり来たりしながら、当時の暮らしが見えてくるのだ。

その検証は本書の図版を見ながら楽しんでいただき、ここではこの新時代の大規模な変化に目を向けたい。それが、遊牧民が大量に定住したということだ。このチャタル・ヒュユクを含む北東イランからメソポタミアにかけての定住地は、農耕定住地のなかでも単独で増殖した最大規模のものだった。いたるところに栽培植物と家畜が見られる。

「このイランの先史時代において、前六千年紀に起こったものほど、唐突に、広く、深く、遊牧から定住への移行が生じたことはない」

と第4部は締めくくられている。

突如として近東地域で定住し、高度な農耕を行うようになる。いままでの流れから見れば、それはギリシアから流れてきた者たちの係累が伝播してきたのではないか、ということになる。ただし、安直にはこれは結論付けられないらしい。このもどかしさが考古学にはある。なかなか真実は見えてこない。

とはいえ、チョヨヌ遺跡の居住地プランは『クリティアス』で描写されたアテナイの建造物に匹敵するほど込み入ったものだった。これほどまでに複雑な建造物ができるには、千年以上の蓄積がないとできないとも言われている。

農耕のルーツはなかなか見えてこない。ギリシアの生き残りが伝えたのか、別の由来があったのか。そこで、実は、この前六千年紀は「あの人」が登場する時代と一致するという、もう一つの神話に注目する。それが、ザラスシュトラ(ゾロアスター/ツァラトゥストラ)である。農耕、定住、飼育、栽培は、ザラスシュトラの経済改革によってだったのではないか、というのが第5部だ。

◆ザラスシュトラがやってきた!

プラトンの『アルキビアデスI』にはこうある。

「(ザラスシュトラは)プラトンの6000年早い時期に生まれたと言われている。ある者は、彼がギリシア人だったという。あるいは、大いなる水の向こう側にある大陸からやってきた民であるという」

つまり、本書で検討していた、近東の栄華がどこからきたのか、という謎と一致する。アトランティスからか、洪水で流されたギリシアからか。その答えはザラスシュトラにあるようなのだ。

ちなみに、ザラスシュトラの出生地はわかっていない。イラン東部ともテヘラン近郊ともアゼルバイジャン地方とも言われている。

◆地球も人間も大事に

ザラスシュトラの教えは、それ以前の古イラン宗教と大きく異なっているわけではなかった。さほど大きな変革をもたらしたものではなかったとも言われている。しかし、古イラン宗教では物質世界を重要視せず、動物の残虐な犠牲、偶像崇拝、酩酊物の濫用などが跋扈していた。

これを正すべく、ザラスシュトラは、物質世界の聖性の回復、現世の生活の倫理の確立を目指した。この刷新こそ、農業によって完遂されたのである。ザラスシュトラは、戦士や僧侶を宗教体系の中核にするのではなく、農夫をメインにした。大地を耕すことこそ、礼拝の一種にしたのである。「穀物を栽培する人は正義を育む」と言われたほどだった。

大地を耕すことがそのメッセージの大部分だとすれば、伝道の僧はおそらく農耕技術の精通していたと考えられる。新しい教義の広がりとともに、手を携えるように定住地が増大していく。それによって遊牧民だった人がゾロアスター教に改宗すると、居住の定まらない生活様式を棄てて、定住地をつくり、地を耕すようになる。

このザラスシュトラの教義は南東ヨーロッパにも伝播している。ヨーロッパで起こった突然の定住農業革命の裏側にはザラスシュトラの改革が潜んでいたということになる。それほどまでに、ザラスシュトラは新石器革命の立役者だったのだ。

◆ザラスシュトラの遺産とエコロジーと錬金術

ここで、セットガストの探求は一区切りする。追いかけていた謎がザラスシュトラという一人(もしくは複数人いたかもしれない存在)に帰結したのである。そして、最後にザラスシュトラの遺産について「おわりに」を記している。

物質世界の聖性を復活させることは、すなわち、人間には「地球の財産管理の責任」があるということを意味している。すでにして、この時代に「エコロジー」思想が萌芽していた、ということに著者は注目する。

エコロジー思想はいつの時代も矛盾をはらむ。人間は自然を壊しながら、自然を守る。もし地球が大事なのであれば、人間が滅びればいいという結論を生みかねない。その矛盾に、ザラスシュトラのときにすでに衝突していた。ザラスシュトラは人間の完全性と同様に、地球の完全性も擁護しているからだ。あちらを立てればこちらが立たず、ではダメだったのだ。

そこで、著者は中世の「錬金術」について言及する。人間が自然をコントロールするという点で錬金術こそ、示唆を与えてくれるからである。エリアーデは錬金術についてこう書いている。

「錬金術は“ホモ・ファベル”(つくる人)というとても古くからの夢を長引かせ、完成する。物質を完成させることを助け、それとともに自分自身をも完成させるのである」

錬金術はマクロコスモスとミクロコスモスの照応(コレスポンダンス)を信念としている。宇宙が人間に作用し、人間もまた宇宙に作用する。蝶番のようにお互いは結ばれているのだ。人間と世界は一体となって、物質界を完成させるために、手を加える。そうやって、地球環境を尊重・保護してきたのである。

いままさに、熱帯雨林は破壊され、過放牧や産業による土地の劣化は止まらない。しかし、人類は再び地球保護の方向へと舵を切ろうとしている。前六千年紀にザラスシュトラが物質世界への聖性を重要視したように、そして、古代ギリシアの時代にプラトンが人間精神を強調したように、いままさに、地球の回復と人間精神の回復が訪れようとしているのかもしれない。セットガストはそういう希望をもって、本書を締めくくる。

プラトンの2作をめぐって、旧石器時代の特異性を探っていたものが、農耕・定住の起源へと巡り、ザラスシュトラの改革へ、そして、果ては地球と人間との共存への人類の夢へと行き着いた。数千年前から人類はずっとそのことばかり考えてきたようだ。その矛盾こそ、認知的不協和のように、人類をここまで前進させてきたのかもしれない。

なんとかここまで要約を試みたが、本書の半分も伝わった気がしないので、このへんでギブアップ・・・。本書を実際に手にとって、めくるめく考古学と神話の世界を楽しんでほしい。


(付記)

定住と農耕について、じゃあ、日本はどうなのだろう?と疑問がわく。
大澤真幸と橋爪大三郎は『げんきな日本論』のなかで、日本の定住の異質性について述べている。世界史的には定住と農耕はほぼ同時に発生しているが、なんと日本では、農耕のはるか前に定住が行われていたのである。たしかに、縄文時代は定住しているものの、農耕が入ってきたのは弥生時代である。日本史の最初に習うことなのだが、ザラスシュトラの改革を見てきた後では、これは驚くべき事実に見える。では、古代の日本人はなぜ定住したのか? 農耕もしないのに、定住は合理的なことだったのか?
次回はそれについて探求したい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?