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思い出

以前小さな飲み会があって、その待ち合わせの時間つぶしで前から行きたかったバーに行ったことがある。

隠れ家という感じで、雑居ビルの上の方にあるのだが、中も凝った作りで、入口からは中がわからないようになっている。それだけに初めて入る人にはハードルが高いのだが、中からその入口のことを考えるとおしゃれというほかない。

そのときには結局3品注文したが、どれも目が覚めるほどおいしく酔いが回った。一品目は話の中から好みを聞いてくれ、それに合わせて作ってくれた。そのときの体調にもよるのだろうが、香り、味が鮮明だった。二品目は珍しいバーボンのハイボールで、安い舌だったけれどもそれにも合うようなスナック菓子感があっておいしかった。三品目は残念ながら覚えていない。

そのお店のSNSをフォローしているが、変わっていくところもあるらしい。同じということはどこにもない。一期一会とよくいうが、そうした意味では世の中は経験論の強い影響の元にあるのだ。人々は気にも止めず同じところはない川を同じ名前で呼ぶ。人も細胞レベルでいえば同じところなどないのに名前は一つだ。

とはいえそれをいい出すと、イデア論を持ち出したくもなる。人々は目に見えないものを信じている。思い出というのも目には見えない。しかし人々はあると信じて疑わない。

それだけに今日の再来店は重い意味がある。脳はいいことほど忘れるようにできている。できることなら逆がよかったが、過去の過酷な歴史を思えばしかたのないことだ。それを考えると思い出という言葉はありがたい。こうしてもう会えなくなる人とまた最後に会えたことがいい思い出になることを願っている。

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