パーソナリティ形成の仮説

こんばんは
今回は「僕がなんでこんなパーソナリティなのか」の仮説を立てていこうと思う。

僕は気分変調症と受動攻撃性パーソナリティである。僕のパーソナリティはどのように形成されたのかを考えたので残しておこうと思う。今回の投稿はみんなに向けて発信というより、僕のメモ書きに近いのでこんなパーソナリティなんだなって思う程度に読んでもらいたい。

僕は一人っ子だったために、両親や家族からはそれなりに愛情を貰っていたと思う。しかし、愛情を貰っていたのにも関わらず何故このようなパーソナリティになっているのか不思議に思った。心理を学んでいるからこそ、僕の過去や親との関わりを振り返ってみると「普通」では無い気がしてきた。
僕の「普通」ではないと感じた過去を振り返ってみる。

・一人っ子だった為、きょうだいと比べるのではなく周りの同年代の友だちと比べられていた
・もので釣ることで僕の能力をあげるような教育をされていた
・小学生あたりから母親と父親の仲が悪くなった
・幼少期、母親と喧嘩した時大泣きしながら土下座をしながら謝っていた

1つづつ解説していこうと思う。
1つ目は、友だちと比べられていた。これは誰でも1度はあるようなことでは無いか。僕はきょうだいが居ないため、友だちや近所、親の友人の子どもなど同年代と比べられていた。「○○ちゃん(くん)はできてるのに、なんであなたは出来ないの?」と言われることもあったが、「○○ちゃん(くん)は出来るらしいよ、ね?」というように言われる方が多かった気がする。今思えば、遠回しに「はっきり言わないけどお前も出来るようになれよ」と言われているように感じる。つまり催促されていたのでは無いか。

2つ目は、テストで100点とったら、習い事で○○に合格出来たら○○してあげるなど、もので釣ることで僕のやる気を出させていた。これも誰でも1度は経験するのではないか。このように報酬で自発的に行動して貰うように仕向ける行為のことを強化子という。強化子をしたことが無い親は少ないのではないか。「こどもがやる気を出さないから」「やる気を出させるために」と様々な理由で利用される心理だが、僕の場合はそれが良くない方向に向いてしまった気がする。強化子によって僕自身も色んなことを頑張ってきたが、頑張っても出来ないことが多かった。そのため、強化子されても失敗して報酬を貰えないことが多かったわけだ。強化子が失敗すると、「なんでこんなことできないの?」や「○○ちゃんは○○しなくてもできるのに」などと言われ、できない自分に余計嫌気が差し、努力しても失敗ばかりで得られるものがないとこどもながらに考えるようになってしまった。

3つ目は両親仲が悪いことだ。母は幼少期に父親を亡くし片親で育てられた。昔は幼少期ながら家庭が良くなるよう中卒で働こうとしたり、金銭面の管理能力が高い人だ。父は、仕事という存在が本人の中で大きく、家庭より仕事というイメージが強い人だ。片親で育った母にとっては、仕事やお金の事ばっかりでこどものことを疎かにしがちな父をよく思っていなかった。そのため、僕が小学生あたりから父への不満が溜まっていき、父と母間の会話が急激に減った。お互いに会話したと思うと、その内容は僕の習い事の支払いなどのお金についてや喧嘩ばかりだった。僕は父より母の方に信頼を置いていたため、母から「父は家庭より仕事を大切にする人」というイメージを埋め込まれたため、僕自身も小学生高学年から父と会話することが無くなった。話すとしたら必要事項のみ、直接話さずLINEで連絡を確認するくらいであった。今でも父にいいイメージを持っていないし、会話も必要最低限である。

4つ目は、僕の幼少期の良くない行動だ。普通なら母と喧嘩したら「ごめんなさい」と泣きながら謝り、母も「次からしないでね」「ちゃんと謝れて偉いね」と、喧嘩しても自分から謝ることが出来たことを褒め、仲直りすると思う。しかし、僕は幼少期何を思ったのか母と喧嘩して謝る時に土下座までしていた。母は昔から僕と喧嘩した時に、僕が反省や謝るまで3日間口を利かないのはザルにあったし、幼少期は喧嘩をすると「うちの子では無い」「うちの子では無いから出ていけ」などと言われるため大泣きしていた記憶がある。ただ謝るだけは意味がなかった。ちゃんとなんで怒っているのか理解し、誠心誠意謝らないと許してくれなかった。その誠心誠意を見せる=土下座という認識が何故が僕の中で出来、土下座をすると母は許してくれるという学習をしてしまった。加えて、「うちの子ではないから出ていけ」という言葉を言われ続けていたため、幼少期は本当に血が繋がっていないと信じていた時があったし、怒らせたら家を追い出されるのでいい子にしなければいけないと思っている時もあった。

普通なら誰でも1度は通る道なのでなんともないはずが、これらが変な方向に向いてしまったことで、今の僕のパーソナリティができてしまったのではないか。
僕の自己否定や自己嫌悪、見捨てられ不安などは両親との愛着から生まれたのではないか。
だから、周りと比べて何も出来ない自分に嫌気が差して自己嫌悪になったり、母を怒らせないよう顔色を伺うようになったり、自分が母を怒らせたら居場所が無くなる、見捨てられないようにしないとということから固着したり、相手優先するようになったのでは無いか。

結論で言えば、児童期までの発達段階で少し問題があったのでは無いかと仮説が立てられる。

これはあくまで自分個人の仮説であり、みんながみんなこうでは無いことはわかって欲しい。
しかし、言えることがあるとすれば、パーソナリティの形成は児童期までの影響が大きいため、少しのことでこどもに悪影響を与えてしまう。だからこそ、親になったらこどもの発達段階について学習しなければならないと感じた。

だからこそ、僕のパーソナリティは僕だけに問題があるのではなく、親との愛着問題もあるため、ちゃんと向き合って、話し合うことで段々とパーソナリティを受け入れて行くのではないか。

長文だし、僕のメモ書きに近い投稿を最後まで読んでくれてありがとう。少しでも共感できる人がいたり、親として気をつけないといけないと感じることが出来た人がいたら嬉しい。
また次の投稿で会いましょう。

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