【社会のモノサシ】 D.S.ウィルソン 「みんなの進化論」 マルチレベル選択
デイヴィッド・スローン・ウィルソン
「みんなの進化論」2009
「社会はどう進化するのか」2020
マルチレベル選択
マルチレベル選択理論は、国家間の協調を安易に期待できないと予言する。地球規模の淘汰圧が生じて、それが国家間の利己的意欲を上回らない限り、国家間の協調は難しいからだ。
環境問題をはじめとする地球規模の淘汰圧が増大することを確信する人々が徐々に増えていることは、実際に淘汰圧が作用している、つまり国家間の協調の可能性が増大していることも意味する。しかし、全地球的淘汰の到来に先んじて国家間協調を模索することは、進化を先回りするという人類初の挑戦でもある。歴史を振り返るならば、多数の国家壊滅を目にして初めて人類は新境地に到達するのかもしれない。
集団存続の限定的条件とは?
集団選択はいつの場合も適応に成功するわけではない。それは、無人島の思考実験からも明らかだ。だから、成功している小集団が本当のところ何をしているのかという観察研究が、この限定的適応条件を明らかにする可能性がある。エリノア・オストロム(2009年ノーベル経済学賞)の研究はその好例だ。
古い進化命題では「グループ内の利己主義は利他主義に勝利する」はずだった。「共有地(コモンズ)の悲劇」とは共有資源が利己主義者(フリーライダー)に食い荒らされ、荒廃する宿命を予言した言葉だった。
しかし実際には、多くの共有地が自発的なコミュニティによって適切に保全されている。オストロムは共有資源を管理している世界中のコミュニティ情報を集めたデータベースを編纂、分析し、8つのCDP(Core Design Principes)を抽出した。CDPは「協調を促し利己主義を抑制する」というマルチレベル選択説の予想を具現化したものだと解釈できる。
目的、利用可能な資源、メンバーの権利と義務の熟知
便益と負担の比例的公正(大きな負担には大きな便益)
全員による公正な意思決定(多数決でなくてもよいが、メンバー全員に意志表示の機会がある)
合意された違反検知(違反に遭遇したときの通報手順などの合意)
段階的な制裁(まず自制を促し、違反を繰り返すとだんだんと厳しくなる)
もめごとの迅速で公正な解決(全員合意の調停委員を選んでおく、など)
局所的な自律性(行政機関など上位コミュニティによる自治権尊重)
上位コミュニティとの規範的整合(上位の制度や法との整合)
もちろん、すべての項目が実現されることは少なく、実現手段も、環境に応じた工夫が必要だ。しかしCDPは共有地管理に限らず、学校、行政区、企業などでも改善チェックリストとして有用な場合が見つかりはじめている。成功事例には、既存コミュニティにCDPを適用するだけでなく、より小さなサブコミュニティを設立して、そこにCDPを適用する取り組みも含まれる。
他者なくして我なし
マルチレベル選択説はグループの存在が進化の前提であること、つまり「他者なくして我なし」を意味している。
「利他性」を人々がどのように理解しているのかという調査研究では「長期的には自分のためにもなるWin-Win行動」という理解が多数であり、「報われない自己犠牲」という理解は少数だった。これはコミュニティの幸せが個人の幸せとなるように、我々自身が進化してきたことを示唆している。
また、身近な人が隣にいたり、手を握ってくれるだけでストレスが軽減する。同じ坂道でも、隣に友人が居るだけで楽に感じるなど、好意的他者が幸福や動機を改善するいくつもの研究がある。他者の好意は、身体的な便益、(ということは経済的便益)を生み出す。
赤ちゃんは生後8ヶ月をすぎる頃から指差しを始める。他の霊長類も訓練すればできるが、欲しいものを指差すことしかできない。赤ちゃんは、欲しいかどうかではなく、関心があるものを指差す。つまり関心を身近な人々と共有したいという欲求がすでにある。今のところ、このように指差しする動物は人間以外に見つかっていない。ただし、犬だけは人間の指さしを理解できる(何万年もの同居を通じて進化したらしい)。
指を差して声を出すことは名付けることだから、言葉の誕生でもある。言葉は関心の共有のために生まれた可能性がある。これもまた「他者なくして我なし」を示唆している。
自分にとって重要な問題を好意的他者に話すだけで、レジリエンス(逆境からの復元力)が改善する事例もあり、効果がプロのカウンセラーと変わらない場合さえある。
さらに興味深いのは、自分の問題を定期的に書きとめるだけで、大学生のレジリエンスが改善し、生活習慣や成績が向上したという研究もある。作文が他者に話しかけるのと同じ効果を生んでいる。「思考」とは、他者が面前にいるかどうかにかかわらず「他者がわかるように語ることそのもの」なのかもしれない。