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望郷の望楼の一直線の妄想の

それこそ何処にでもあるアスファルト敷きで平置きの、そういう駐車場が私の家の近所にもある。車が平置きで横一列に7台置ける、奥行きが短く横に長い駐車場。
今でこそ有り触れた何の変哲もないその場所が、20年ほど昔は釣り堀だったことを。茶色い下見板張りの外壁の、いかにも古そうなその木造の平屋の佇まいを。通りに面した窓の下の壁は清涼飲料水の看板で埋め尽くされ、屋根はグルリとトタン板が張り巡らされすっかり隠されていたことを。そのトタン板にはレタリングが手書きで施された店名が、その頃はもうすっかりペンキが色褪せ、かろうじて「×××卓球場」と読めたことを。そういう釣り堀がそこにあったことを、私は今でも忘れず覚えている。
時が移り、土地が建物が更新され、其処に住まう人が変わり、景色が刷新され、しかし相も変わらず人々はその前を通り過ぎて行く。一体どれほどの人が日々この前を通り、一体どんな人が、ここに釣り堀のあったことを記憶し思い出すのだろう。
普段のルートを外れ、少し遠回りした駅からの帰路。久しぶりにその元釣り堀の前を通り、何故だか急にそんなことを考えた。

東中野駅前に2棟のタワーマンションが聳えている。その元は「日本閣」という日本初の総合結婚式場だった。そのまた元は料亭で、そのまた元の元は釣り堀だった。「寿々木屋」と言った。
「寿々木屋」は釣り客で大変賑わった。やがて釣り客に軽食の提供を始め、それが料亭へと発展した。料亭「寿々木屋」は釣り堀を止めてしまった訳だが、其処にいた魚は如何したのだろうか。近くを流れる神田川に放流したろうか、或いは捌いて客に供したろうか。
その釣り堀は―と言えば語弊があるが―場所を変え今も営業中だ。今年2024年、その地で再出発して100年を迎える。

阿佐ヶ谷の「寿々木園」だ。

魚の処遇は不明だが、当時東中野の「寿々木屋」から阿佐ヶ谷の「寿々木園」へ移入された魚がいたにしても、未だに生きて住み着いているものがあろうとは考えにくい。しかしあの釣り堀特有の湿って淀んだ少し生臭い空気の裡に、未だに、たとえ少しでも、彼らの魂が「寿々木園」の其処彼処に漂っていると考えるのは愉快だとは思わないか?
もしあなたが東中野にいて、そんな空気を感じたなら、それは屹度そういうことだ。神田川の水の臭いと片付けて仕舞う前に、少し立ち止まって風に聞いて欲しい。
彼らの望郷の念は今日もまた、一直線に真っすぐ伸びた中央線の線路を伝い、阿佐ヶ谷から東中野へ届いているに違いない。

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