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残酷な現実

みなさんおはようございます。最近橘玲氏の本を読むことが多いですが、本当に世の中残酷だと思わされます。その一方で自分自身が持っていた常識がどんどん崩れて行っているのも事実です。

一例を挙げると、足が遅い人の足を速くするのよりも、勉強が苦手な人が勉強ができるようになることの方がはるかに難しいということが分かったことです。親の足が速ければ子供の足が速くなるなんてことは容易に想像できますが、実は勉強のできるできないについてはそれ以上に遺伝の要素が大きいということが最近わかって来たようです。

かつては勉強は努力次第でどうにでもなると私自身も言われてきましたし、実際私もそう思っていました。しかし頭の良さの遺伝率は80%にも及ぶとのことです。つまり勉強が苦手であったらもはやそれを克服するのは不可能と言っていいとまで言われています。ただこれに関しては残酷ではあるけどもある意味救いになるとのことです。勉強が苦手であるならさっさと諦めるという選択肢が取れることです。今までは勉強ができないのは努力不足だと散々言われてきたかと思いますが、勉強の得手不得手は運動以上に大きいということが分かれば、諦めることも簡単です。その代わり勉強とは違った方向で活躍するチャンスが出てくることでしょう。

最近では大学の数も増えて、勉強する機会こそ増えましたが、ここまで大学を増やす意味があるのか、なんて意見もよく聞きます。実際問題私もみんながみんな大学に行く必要はないと思います。勉強が苦手な人に無理矢理大学に入らせて時間を無駄にするよりも、他に得意な分野があればそちらを伸ばすことに時間を使った方が有意義でしょう。

以前、東京大学の学生が親ガチャは甘えだ、みたいなことを言ってそれをハーバード大学の教授に違うと論破されたなんて話を聞きましたが、勉強に関してはかなりセンスが問われる分野なのでしょう。最近では努力できる遺伝子なるものもあると分かってきており、反復練習が苦にならないかも遺伝子によって決められるなんて話です。

いずれにせよ、こういったことはタブー視され表立って言うことができない部分が大きかったでしょうが、最近の論文などでは頻繁に登場するそうです。今後の生き方としては苦手を克服するのではなく、長所を伸ばすことがより大事になると思われます。人間なにかしら長所はあるでしょうし、それを伸ばすことができれば社会においても活躍できることでしょう。今までは苦手を克服することに教育も力点を置いて来たように思えますが、今後は社会もより複雑になることを考慮すると、やはり長所を伸ばして生きていく方が大事になるかと思います。

残酷な現実は知ることで絶望することがあるかもしれない一方で、それを受け入れ、捨てるところは捨てるといった割り切りを持つことも大事だと思われます。私は昔から運動が苦手でみんなに迷惑をかけて来ました。仕事だって全然できないです。それでも丸暗記だけはできました。丸暗記で何かしらの貢献ができるのかもしれません。そこはまだ救われた気分になりました。あれもこれも欲しがらず、必要な物だけを欲しがるようにして生きて行けば何かしら光明が見えてくるかもしれません。

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