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「自分は自分なんだ」と気づいた時、目の前の世界が開けた気がした。

「自分は繊細な人間なのかもしれない。」

そう気づいたとき、今までの生きずらさが消えた。

生きづらさを感じている人々


「Highly Sensitve Person」、略して「HSP」。

字面だけは見たことがあった、このアルファベット羅列。
今振り返れば、この言葉を知ったのはあっちゃんこと「中田敦彦のYouTube大学」を見たのがきっかけだったと思う。

こんな動画とか、

こんな動画とか。

「世の中には、隠れて生きづらさを感じている人もいるのだな」と、まだまだ社会を知らないなと思ったことを覚えている。

正直、

「私には関係ないの話。」

そう思っていた。

矛盾する自分


学生時代から社交的でチャレンジングだった自分。人と接することは好きだし、新しいことにチャレンジすることも好きだった。

しかし、大学に入ってから、少しずつ自分の弱いところが表れてくるようになっていった。

悪く表現をするのであれば、こんな感じ。

✔︎ 大勢の人々の中にいると、帰宅後は全く動けなくなるほど疲れる

✔︎ 新しいことにチャレンジするけれど、続けることができずすぐに諦めてしまう

✔︎ 4人以上のグループになると、一言も声を出すことができなくなる

✔︎ 1週間の間で、やれる時とやれない時の差が激しい

✔︎ やる気はあるのに、やろうとした瞬間に冷める

✔︎ 素の自分を曝け出すことが嫌い

こんな感じ。

一方で、こんな良いことも。

✔︎ 1対1、もしくは3人のチームでは、相手の本音を対話を通じて引き出すことができる

✔︎ 常に、Only Oneを考え、オリジナリティを発揮する

✔︎ 自分よりも相手。人のために!となると、とてもつもないエネルギーを発揮する

✔︎ 人に合わせて、態度を臨機応変に変えることができる

✔︎ 行動したら早いし、リスクも同時に考えられる

多様な人やコミュニティに触れていく中で、上記に挙げたような特徴が見られるようになっていった。

良いことが見える時は、もちろん良い。問題は、悪いことが見える時だ。

この時は、本当に辛い。

例えば、よくある例が4人以上の人が集まるお食事会。個人的には、好きではない。

食事前の妄想。
「みんなは何を頼むのかな?」
「みんなが座っている席は満足いっているのかな?」

食事が到着して始まる、雑談中の妄想。
「何を話そうか?」
「みんなの食べるスピードはどれぐらいだろう?」

食事後の妄想。
「支払いはどうするのかな?」
「帰りの交通手段はどうするのかな?」

たった食事会をするだけで、頭によぎることがあまりにも多い。
とにかくネガティブな妄想が止まらないのだ。

だから、帰宅すると驚くほどに疲れて撃沈し、布団から動けなくなる。
体力的な疲れではない。精神的な疲れだ。

突然、自分に話が振られた時に感じる、みんなの視線。

その視線を感じたとき、私は声を出せなくなってしまう。

人と話すことは好きだし、

なぜこんなにも疲れてしまうのか。

なぜ楽しいとわかっているのに、

当日になると、こんなにも嫌になるのかな。


その矛盾するような感覚が、本当に辛かった。

たまたま手に取った1冊の本


そのモヤモヤに終止符を打ったのは、とある1冊の本だった。

その日は、私の超必需品である愛用のMacBook Airが絶不調だった。

朝から、

家のWiFiにも、
学校のWiFiにも、
ネカフェのWiFiにも、
フードコートのWiFiにも繋がらない、

正に絶体絶命という日。出さなければいけない課題もあるのに、見たい動画もあるのに。

どうしようもない自分は、一か八かで大学の生協に相談していた。

「1時間ほどお待ちいただけますか?確認いたしますので。」

と言われ、

「直してくれて〜」そんな淡い期待を抱きながら、生協の書店に立ちよった時だった。

とある1冊の本が目に留まった。

それが、この『かくれ繊細さんの「やりたいこと」の見つけ方』という本。

当時、「コーチング」、「キャリア支援」、「自己理解」といったような分野に興味があった自分は、タイトルの「やりたいことの見つけ方」というワードに惹かれて手に取った。

本を読み進めていったとき、隠れ繊細さんの特徴を紹介するページを読んで思った。

自分は、”隠れ繊細さん”なのかもしれない。

と。

私は、HSS型HSP


自分が感じていた矛盾。それをずばり言い当てていた。

自分が周りと違うのは、生まれつきの性質であることを理解した。
心の中にあったモヤモヤが一気に晴れたような気がした。
気持ちが楽になった。

家に帰って、隠れ繊細さんについてネットで調べてみた。

すると、こんな内容が書かれていた。

HSS型HSPとは、刺激を求めるが繊細な、外交型HSPのこと。別名、隠れ繊細さん。

私が当てはまっている「隠れ繊細さん」とは、刺激を求めて好奇心に従ってどんどんチャレンジするのにも関わらず、繊細の一面も持ち合わせているので疲やすい、矛盾な性格の持ち主だったのだ。

刺激を求める活動的なタイプだから、周りから見れば繊細には見えない。そのため、隠れという頭文字がついている。


遠い世界の話だと思っていたHSP。まさか、自分が当てはまるとは。


これに気づいてからというもの、自分という人間をより客観的に見れるようになっていった。

自分は大勢の人と付き合うと疲れる生き物であること。
自分は好奇心旺盛だけれども、飽き性でもあること。
自分は人よりも敏感に察知する性質を持っていること。

そんな自分にとっては当たり前要素を、客観的に見れるようになっていった。

自分を知るということ


人は皆、自分のレンズを通してでしか物事を見ることができない。だから、自分の基準を、周りの基準に合わせてしまうところがある。

すると、周りと自分を比較して、

「なんで自分はこうなんだろう…」

というネガティブ思考に入ってしまう。

けれども、1人1人が持っている個性というものは変えることはできない。だから、その生まれ持ったもので、どのように生きていくかを考えることが大切だ。

自分は、自分がHSS型HSPということを知って生きるのが本当に楽になった。なぜなら、

「自分は自分だから、ありのままでいいんだ」

と、自分のことを認めることができるようになったから。

おそらく、自分の性質を知るか知らないかでは大きな差が生まれると思う。

自分が
どんな時に楽しみを覚えて、
どんな時に不安を覚えて、
どんな時にありままの自分でいられるか。

それを知るだけで、人生はもっと明るくイキイキ生きることができると思う。

名前も顔も知らない、生きることに苦しさを覚えている「〇〇」さんに届いたらいいなと思って、このnoteを書いた。

自分を知るということ。

それを伝えたかった。

HSS型HSPは、深ぼりがいがある分野。今回話した内容をもっと詳しく紹介する記事なんかも書けたらいいな。

ということで、ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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