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処世術のシミュレーテッドリアリティ

シミュレーテッドリアリティをご存じだろうか?

我々が生きているこの世界をコンピューターによってシミュレートされている仮想現実とする考え方である。

このようなことを考えたことがある人は案外多いのではないだろうか。人間が生きるのに都合が良すぎる地球やその周囲のことを鑑みれば、そのように思うのは至極当然である。

しかし、そのように考えることはあっても、実際にその様な考え方で生きている人はそういないのではないだろうか。少なくとも私は見たことがない。

私はこの考え方を初めて知った時から、処世術として、人生を楽しく生きるための精神性として使うことが出来るのではないかと思った。

このような考え方で人生を生きることについて今回はお話したい。

まずシミュレーテッドリアリティで生きることはどのような利点があるのだろうか。

  • ストレスがなくなる。

  • 人と関わるうえでストレスを感じなくなる。

  • 感情の起伏がなくなる。

  • 欲がなくなる。

  • 執着しなくなる。

他にもあるだろうが、大まかにこのようなものが挙げられる。

ストレスがなくなるというのは、今のストレス社会において絶大なメリットと言える。
もしシミュレーテッドリアリティで生きることを実現できればストレスなどなく生きられるだろう。

ここまではメリットなどを紹介してきたが、実際にシミュレーテッドリアリティで生きるにはどうすればよいのか。

一つ漫画で参考になるキャラクターがいるので紹介する。
西尾維新のめだかボックスのキャラクター、安心院なじみである。



めだかボックス 安心院なじみ

このキャラクターは漫画の中でシミュレーテッドリアリティという”症状”を持つキャラクターとして登場している。世界を漫画、ゲームとして見ているので、作中では頻繁にメタ発言をする。

なぜシミュレーテッドリアリティになったのかというと、彼女は地球が生まれる前から存在し、何でもできてしまったため、世界が都合の良い出来すぎたゲーム、漫画のように感じるようになってしまったためである。

そのようになったために、作中の彼女の目的は「出来ないことを探す」となっている。

彼女の視点では人がその辺の机やえんぴつと同じ値打ちしか持っておらず、全てを平等に同じ価値のものとして見ていると語られている。

この全てが平等という点は非常に重要な観点である。

ただ彼女は何でもできてしまったがために、シミュレーテッドリアリティとなった人物である。

普通の人間には何でもできるというわけではないため、彼女のようなシミュレーテッドリアリティはありえない。

だが、考え方自体は非常に参考になるため、興味がある方は是非読んでみてほしい。
安心院なじみが本格的に登場するのはめだかボックス11巻からとなっている。(その前にもちょくちょく登場するため、そこも見たい場合は9巻くらいから読むことをおすすめする)

では実際に我々がシミュレーテッドリアリティになるためにはどうすればよいのか。

とはいっても特に説明することはなく、文字通りゲームのように世界を解釈して生きればいいだけである。

ただ注意点があるため、それについて説明していく。

まずこの考え方は人を含めたすべてのものをゲーム、つまり幻想として考える必要があるが、ここで注意すべきなのは自分だけ例外にしないことである。

例外にしてしまうと、もし他人に不快な行動をされた時、あなたは怒るだろう。
「ゲームのキャラの分際で!」と。。。

このような間違った考え方では、人を見下しているのと何も変わらない。

シミュレーテッドリアリティの肝は、自分を含めて何もかも平等だという点である。

自分が動かす体でさえもゲームのキャラとして捉える必要がある。

これを完璧に遂行するのは、非常に困難なことかもしれない。
ほとんどの人は、自分の内に取り除くことができないような執着やコンプレックスがある。

それらをすべて捨てなければならないからだ。

だが、それらを乗り越え、体を操り人形に扱うことが出来るようになったなら、他人に何をされようと、自分に何が起きようと、何も思わなくなるだろう。

想像してみてほしい。ゲームをプレイしていて自分の操作するキャラクターに何かが起こった時、あなたは憤りを感じるだろうか。
ゲームが進まないことに怒りを感じる者はいるかもしれない。
だが、自分のキャラクターに起こった事自体には何の感情も抱かないだろう。

これは自分を蔑ろにする行為ではない。むしろ自分を守るための考え方である。

ストレスから解放されるという点から、シミュレーテッドリアリティは素晴らしい処世術だと思う。



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