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社会人になってからの足跡。新卒から現在まで③

1994年4月に社会人デビューしてから、色々な経験をさせていただきました。また、色々な方と出会い支えていただきました。転職も数回していますが、その度に自分の職務経歴書を見て、「信じてもらえるかな・・・」と思うくらい幅が広いです。現在、メインのキャリアは「管理系」とお答えしていますが、そのきっかけとなった人事部業務に携わるまでの経験と経緯を複数回に分けて、書いていこうと思います。(具体的な会社名は伏せさせていただきます。ご興味のある方はメッセージください。)

#転職体験記

前回までのあらすじ
新卒として研究開発職に就き、平和に楽しく仕事をしていましたが、「O157」事件で激動の社会人生活へと環境が一変しました。半官半民の会社へ転職したものの、物足りなくなり再び事業会社へ転職。ビジネスマンとしての私の生みの親であるH社長の会社へ入社し、事業開発をはじめ、色々な経験をながら10年経ったころ、全く興味も関心も無い人事部門への異動となりました・・・

よろしかったら、こちらもお読みください。
第1回の記事(https://note.com/shiny_moraea618/n/n71705f005b11
第2回の記事(https://note.com/shiny_moraea618/n/n20640b5d1e63


人事の仕事ってなんですか?

人事部への異動に伴い、事業会社から転籍となりました。今までで最も不安な異動(転職?)でした。まさに「右も左もわからない」状態で、部下になる方々は全員が人事畑をメインのキャリアとしていました。会社で顔を合わせれば立ち話程度のコミュニケーションはありましたが、同じフロア内で席が移動したはずなのに、気分は転職でした。一応、新人扱いをしていただき、役員やグループ会社の社長にご挨拶に伺い、その後は人事部を管轄している管理本部長から簡単なオリエンがあり、人事の在り方や業務の内容、そして、当面の私の役割について説明を受けました。

人事部(というか、管理部門)の仕事について全くの無知であったので、表面で行われている「事務作業」しかやっていない部門だと思っていました。
ちょっと考えればわかることなのですが、会社の就業規則や運営ルール、給与の支払い、評価、研修運営・・・その他、たくさんの事業活動以外のことは誰が動かすのか、人件費予算や人員計画、採用活動は誰が担っていたのか・・・気にも留めていなかった私には衝撃でした。

人事部で最初に取組んだこと

勤怠管理、給与計算、採用業務、研修運営、入退社の手続き・・・等、基本的な業務についてはそれぞれの担当者について、一通り作業ができる程度になるくらいまで教えて頂きました。また、並行して就業規則、労働基準法の勉強も慌ててやりました。ちょこっとだけ専門的な話をされるとわからないのが顔に出ていた様で、解説しながら業務についての報告をしていただくような有様を、一刻も早く無くさないといけないと思ったからです。

ただ、私にもスペシャリストの部下の方々に負けていないことがありました。それは、事業理解と社員間の人間関係把握でした。
事業会社に在籍していた時は、事業開発、品質管理、商品開発等の単独部門では業務が完結することが難しい仕事がメインだったので、関与しない部門、担当役員はほぼありませんでした。

現場近くで働いていて感じていた唯一の人事的な課題は「離職の多さ」でした。人事になって離職率を確認したのですが(数値は伏せさせて頂きます。)、全社の離職率はさほど高くなく平均より若干高い程度でしたが、地方の製造・加工に従事している正社員は本社勤務に比べ、圧倒的に多くなっています。

現場の作業は職人的なスキルが求められることが多く、現場では時間を掛けて育成していきます。3年程度でやっと一人前になったあたりで離職されてしまうとそれまでの苦労(コストも)が水の泡になってしまい、製品の品質や、効率がいつまでたっても変わらい状況になってしまいます。経営の3資源の一つ「ヒト」を管轄する部門としては早急に改善する必要があると考え着手することに決めました。

全社員面談の実施

なぜ会社を辞めるのか?入社してから考えたことがありませんでした。仕事の話を友人にすると「大変だね・・」と言われましたが、自分はそれが普通になっていて、特に不満もなく(考える余裕が無かった?)、達成感があり仕事が好きでした。なので、離職の理由を考えても出てきません。本で調べたりWebで情報を集めたりしましたが、環境も違うし、本当にこれらが原因なのかが判断できませんでした。

ならば、「聴いてみよう。社員は会社をどう思っているのか?仕事をどう感じているのか?不満は?何がしたいのか?」と思い立ち、さっそく面談の準備を始めました。部門間、センター間で離職率に差が出ていることから、どうせなら全社員の面談を行うことに決めました。

センター、営業拠点は全国に17拠点(四国は無かった)あり、桃太郎電鉄みたいに移動します。センターの管理部門が面談の調整を行ってくれたので助かりました。初めて面談を実施した時のことを鮮明に覚えていますが、「面談してくれてありがとうございます。会社として意見を聞いてくれる機会ができてすごく嬉しい、ぜひ意見を活かしてほしいです」と言われました。社員の話を聞いて、原因を探ってみようかな・・程度に軽く考えていた頭をコンクリに打ち付けたくらいの衝撃でした。

社員は経営幹部である人事部の責任者が、「直接自分の意見や想いを会社に伝え、会社を変えてくれる」と期待していることが伝わってきて、恐ろしくなりました。社員は自分たちの代弁者として捉えていますが、人事の立場は必ず会社側でなければいけないと考えていたので(今でも)、質問されると頭をフル回転させて答え、毎回ヘトヘトになりました。

おそらく、社員にとっては不満が残るような面談をしていたと思うのですが、思いのほか成果があったと思っています。このことがきっかけで、社員から面談以外でも直接相談が来るようになり、個人的な相談や会社に対する意見などで、上司等、関係性が深いからこそ言い出せない内容でした。

それらを参考にしながら会社と社員の向き合い方を考え、妥協点を探り解決するためのリアルな提案ができるようになったと思います。全社員面談は私が退職するまで、毎年行いました。

他人の財布に手を突っ込む

人事の仕事を一通り経験し、なんとなくわかった気でいた頃に人事制度の見直しを行うことにしました。製造部門や庫内物流、営業、商品管理、品質管理等様々な部門が存在しているにも関わらず、評価の指標が画一的だったり、年功序列的な内容であったため、人事制度(等級、評価、報酬)を全面的に見直しすることを決めました。

その頃は職務給制度が流行っている頃(古い・・)だったので、調べてみたのですがそのままでは会社に当てはめることが難しいと考え、役職者(課長以上)のポストを対象として設計を行い、導入を行いました。10個程度の算定指標を用いて、ポストごとにジョブサイズを算定していき、報酬制度につなげていきますが、その中で大幅に理論年収が下がってしまう社員が出てきます。

例えば、大規模センターのセンター長と小規模センターのセンター長ではジョブサイズに従うと大規模センターのセンター長のほうがベースの年収が高くなる必要がありますが、実際は逆転していることもあります。

制度を運用する人事部としては見過ごすことはできません。理屈上は当然なのですが、実際に個人として対象となる「人」を見たときは、特に個人の情報を多く持てば持つほどつらい時があります。人事に配属になったときに本部長から言われた「つらいことも多いよ」のうちの一つでした。

せめてもの償いとして、正確に算定し、誰もが納得する内容にするために何回もシミュレーションを行いました。


次回は、人事として更にレベルアップをしたくて、上場会社に転職することになります。そこでも落とし穴が・・・
最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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