「なるほど」【2023.11.11】
目上の人から言われたことに、「なるほど」という相槌は失礼にあたるのでしょうか?
失礼だと指摘されている動画を目にして気づきました。
なんせ僕は「なるほど」のヘビーユーザーの自覚がありまして。
とはいえ目上の人にというよりかは会話の中でですが。
しかし、会話の中で使う癖があるのでそれがいざ目上の人を目の前にした時に「なるほど」が出てしまうのではないかという恐れがあります。
そんなことを意識しながら今日は会話をしていたので、どこか不自然さがあったような気がします。
じゃあ何を使えばいいんじゃいということですが、
「はい」「おっしゃるとおりです」「承知いたしました」あたりが良いらしいですね。
こちらに他にも注意すべき言葉として「たしかに」がありました。
これまた僕の多用する言葉。
口癖を指摘された人は会話のペースを乱される、みたいなこともあるように話すのに変に意識をしてしまいそうです。
と、ここまでいくと自分の言葉遣いには注意する点ばかりということになるかと思います。
ですが、会話のような場所で自分は相手とフラットに向き合えているのではというポジティブな捉え方もできます。
(まあ、シンプルに目上の人とそのビジネスライクな言葉遣いを必要とされる環境が今は身近にないということもあると思いますが)
会話を思い返すと、めっちゃ柔らかい雰囲気で共感を表す時に言う「なるほど」もあれば、真面目に受け止める意味での「なるほど」もあるし、適当にやり過ごす時にも「なるほど」は使っているかもしれないなと思いました。
これ以外にも恐らく使われている機会はあるだろうし、その言い方や感情の載せ方でまた別の意味や雰囲気になるのだと思います。
便利だから使い過ぎるのは注意しようと思いました。
そして今自分はどういう意味で「なるほど」というのか分かっていると、違う言葉に置き換えたりもしやすいのかななんて思いました。
使い分けれるといいですよね。
エネルギーに満ち溢れている人を見た時あなたはどう思うのでしょう?
自分も頑張ろうという形でエネルギーをもらえるのでしょうか?
はたまた、対比が痛いとでもいうように逆にエネルギーが消えていってしまうでしょうか?
この差はやはり比較することから生まれてしまうのですかね?
比較しなければ素直にエネルギーを受け取れ、比較し劣等感を感じたならばそれが自身のエネルギーを削ぐことにつながり得る。
とすると、悪い比較をしてしまわないようにすることがやはり鍵なのかもしれないと思います。
全く別の方向から行くと、エネルギーを満ち溢れさせないという手もあるのかもしれないと思います。エンジンは内部に隠しておくのです。
ともあれエネルギーに満ち溢れている(ように外からは見えている)人でもきっと本人にしか分からない苦労やつらいこと、壁にぶつかって考えることがあるのだと思います。それでも自分で進む方向を見さだめて歩んでいるからエネルギーに満ち溢れて見えているだけです、きっと。だけと言いましたがそれはものすごく難しいことだと思います。素晴らしすぎることだと思います。
だから自分もそうであれるように頑張るのです。
いつも前向きに進めている必要はない。
苦しい時があってもいい。
それはきっと意味があって。
そう信じていたい。
信じることは願いでもある。
と思っている。
もしもサポートを頂けたなら、それはさらなる経験に使い、僕の視点からその経験を文章にして共有させていただきます!