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カーテンの隙間から差し込む光を眺めていた。【2023.10.07】
停滞期です。
ですがもう少しで潜り抜けられそうな予感もしています。
僕の場合は将来の目標がとか人のために貢献していきたいとかそういうたいそうなもの以前に、まず自分が生きていよう・生きるという客観的にみると最低ラインとも捉えられるようなところから始まる気がします。
ようやく気が付いたというか、そろそろ認めざるを得ないのかなという感じです。
自分が穏やかでいられる桃源郷を作りたい。
というざっくりとしたイメージが浮かびました。
具体的なものはこれから深めていきます。
台風休みの連絡が学部のLINEに送られてきた時に、結構多くの人が目がハートになっているスタンプで反応しているのがなんか微笑ましかったのを急に思い出しました。台湾人のオープンな性格と教授と学生の距離が近いことの表れなのかなと感じました。
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昨日の記事で「今日の発見」が何も思い浮かばず、自分は周りのことに鈍感だなと感じたと書いていたので、今日は発見の意識をして外を歩きました。
今日の発見は室外機です。建物の外にはたいてい室外機があります。
中には日立と書いたものも発見しました。
全ての室外機に感謝です。
(板倉さんのコントを見てそう感じました。)
この観察眼は凄すぎます。
その観察を何かしらの形で表そうとすると、観察の精度や深さを上げられるかもしれないなと思いました。
そして表現はきっと形にとらわれなくていいのだと思います。
自分なりの方法で。
人の評価とかではなく自分が何をどう感じたのか。
それをひたすらに形にすること。
市場価値とか分かりやすい指標もあるけれど、自分の信じる価値も大事にできたらいい。いや、自分の信じる価値を自分は大事にしたいと思う。
絶望の中だから見える希望。
澄んでいて濁っている水みたいな。
思いっきり破壊的で、儚くて、哀愁で、祈り。
どうか自分のことを最後まで自分で信じ続けていられますように。
もしもサポートを頂けたなら、それはさらなる経験に使い、僕の視点からその経験を文章にして共有させていただきます!