見出し画像

それはマイナスでも何でもなくて【2023.10.18】

午前中にシャワーの温度調節の機械を治してくれる人が来た。これでお湯が出るようになった。文明を感じた。

「シャワー 水 冷たい」というキーワードで、高校生の時に下宿をしていた時のことを思い出しました。曜日によって浴室とシャワールームのどちらを使うかが入れ替わるシステムだったのですが、冬にシャワーだけの日が玄関に近くてすごく寒かったのを思い出しました。ちなみに北の大地のです。シャワールームから出たら間髪入れずストーブを点けた部屋に駆け込んでましたね。懐かしい。

忘れてしまった記憶もあるとは思うのですが、実は眠っているだけで、何かのきっかけで引き出されるということもあるのではないかと感じます。

現実に戻る。
修理屋さんが来たこともあり、グループ討論に遅れてしまいました。
事前課題の文章を読み終わっていなかった。
幸いか不幸か、グループメンバーも今回の厚い文章は読み終えられていなかったので結局、ほぼ何もその場で出来ることはありませんでした。
 
その場合は集まらなくても各自で文を読み終える時間にしたり、時間を変えてオンラインで話し合うという臨機応変な対応ができたなと改善点が見つかりました。
そして、いくら早く読み始めても終わらないくらいの感覚で読み始めよう。その授業が終わったらその日のうちに読み始める。
あと始めからの完璧な理解を諦める。
その文の1番言いたいことを掴めればまずOKくらいで進めていく。

日々改善が必要な環境にいられているこの時間は貴重なのだろうなと思います。だからこそ、真剣に。


読んでいた文章のタイトルは直訳すると『あなたの悲しみは病気ではない』みたいな感じです。

内容を簡単に書くと、現代において鬱病に代表される心理疾病は大衆病理化してしまっている状況が存在する。その背景には、社会に潜在的に存在している鬱病予備軍を可視化するため、標準化・効率化された方法(DSMなど)を用いて調査されており、その結果が軽度の症状でもリスクを考慮されて陽性となり、鬱病というレッテルや誤診断につながっていることがある。
そこで現在求められるのは調査方法の改善および正常な悲しみと鬱を区別すること、本当に必要な人に医療資源が行き渡ることということが主張されています。

確かに、今自分たちの周りでも鬱病やメンタルヘルスに関連する軽い診断のようなものをスマホなどでも出来ると思います(信頼性は置いておいて)
そしてその結果から鬱病かもしれないなんて思うことがあるかもしれません。

ですがここで一度立ち止まって考えることが大切かもしれません。
本文にも書いてあったのですが、悲しいことがあった時に感じることや現れる症状は鬱病と非常に近いものがあります。しかし、正常な悲しみは時間と共に回復します。そんな状態で焦って治療(主流なのは薬)に進んでしまうのはリスクもゼロではありません。
本当にこれは鬱症状なのか、悲しみの感情なのか。
その考えが頭にあるだけでも違うのかなと感じます。

悲しみだってきっと大切な感情なんだと思います。
悲しいから嬉しいことをより嬉しく感じられたり、楽しいことを楽しいと感じられたりする。
ポジティブじゃないとみたいな空気もあるかもしれないけれど、そうある必要なんてないのかもしれないと個人的には思います。

悲しんでいる、ナイス。くらい極端なところから入っていって、良さげなところで均衡点を見つけようかなと思います。


メイウェザーはめちゃめちゃ練習している。

今を充実させてかないと充実した未来なんて訪れません。

今日受けたインスピレーションを最後に添えて。

#留学生のひとりごと日記


もしもサポートを頂けたなら、それはさらなる経験に使い、僕の視点からその経験を文章にして共有させていただきます!