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挫折は人を強くするのか、はたまた




大学受験に失敗して無計画に家を出た、
このまえの春からもう1年。

東京生活にも慣れてきたところで、ようやく人生初の大事な挫折に向き合う決心がついた。


よくある田舎の進学校で、盲目にも最難関と呼ばれる類の大学を目指していました。
結論から言えば、不合格でした。

短い人生の、決して短くない時間を机に俯いて過ごしてきました。「不合格」のたった三文字で、なんだか全てが馬鹿らしく思えてしまった。

何のために、歯を食いしばってきたのか
爪の食い込んだ拳から血を流したのか

全部、無駄だったね。
そう言われた気分でした。

可哀想な私は知らなかったんです。
"努力は必ず報われる"訳じゃないってこと。
だからと言って、"報われないのならそれはまだ努力ではない"訳でもないはずです。だって私は確かに努力しました。

努力が足りなかったんでも、才能がなかったんでもなかったと思います。

ただ、そうじゃなくても落ちたってだけ。


他に行きたい大学なんてなかったし、他の大学に行く意味も見出せなかった。
今となって気づいたから言えるのだけど、当時のわたしはどうしようもなく視野が狭かったから。結局、その年大学には行きませんでした。


その選択が正解でも、不正解でもないと思っています、まだ。
何が正しくて、何がそうではないのか分からなかったから、大人に聞きました。

「大人って何ですか?私はどうしてまだ大人じゃないんですか?」
いかにもこどもみたいな(実際どうしようもなくこどもだった)疑問に、

「自分のした選択を正解にできるのが、本当の意味での"大人"なんじゃないかな」
私が大人だと思う人は、そう答えました。

まだ、これが正解だった、なんて自分の選択に胸を張って言えない自分だから。
もう少しだけ悩んで、いつか挫折をも正解にできる"大人"になりたいな。

なんて思うわたしはやっぱりまだ、
"大人とこどものちょうど真ん中"なんだろう。

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