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「ありがとう」が言えなかった。でも、「ありがとう」の気持ちはあった。

 今から約35年前、保育園児のときに場面緘黙症を発症した私は、小学校に入学してからもそれが治ることはなかった。
 言葉を交わすのは、家族と先生だけ。
 親戚とは、いつの間にか喋ることができなくなっていた。

 緘黙発症後も、離れて暮らす祖父母やいとこ、おじ・おばとも話すことはできていた。これは、確かな記憶だ。
 だけど、いつからかは覚えていないが、″気づいたとき”には、年に数回しか会わないその親戚たちとも話すことができなくなっていた。
 慣習というのは恐ろしいもので、一度、家族と先生以外とは喋らないという状態が固定化されると、小さな子どもには、自らそれを克服するだけの力は無かった。


お年玉問題

 思い出すのが、正月のお年玉問題だ。
 我が家では、年末に父方祖父母の家に行き、年を越すのが恒例になっており、元旦に、まず父方祖父からお年玉をもらっていた。1月2日頃になると、今度は母方祖父母宅に移動し、母方祖父やおじ・おばからもお年玉をもらった。
 お金をもらえることが、嬉しくないわけがない。ありがたいに決まっている。だから、「ありがとう」と言いたい気持ちはあった。だけど、親戚の前でも喋れなくなってからは、私はこの一言が言えなかった。

 うちの母親は、「ありがとうと言いなさい」と毎回私に求めてきた。そのセリフを言うことが、親としての務めだと周りにアピールするように。
 あれは、平仮名を書くことができていたから、小学生になってからだと思う。私が、口で言えない代わりに、お絵かき帳に「ありがとう」と書いておばに見せたとき、そばにいた母親から「口があるんだから言いなさい」と言われたことを覚えている。
 そのとき、頭の中で言語化はできなくとも、子ども心に感じ取っていたと思う。この人には、言いたくても言えない苦しさがあることを分かってもらえないと。

 一般論として、自分の子どもが人から物を貰ったとき、子どもにお礼を言わせることは、親としては正しい教育だと思う。
 だけど、緘黙児の親としては、必ずしも正論が正解とは限らない。少なくとも、私はこのとき「ありがとう」を言えないことが苦しかった。苦しんでいることに気づいてほしかった。「ありがとう」の気持ちがあることを、本当は言いたいことを、親なら汲み取ってほしかった。

 もしも、緘黙の原因に遺伝的要素があるとすれば、私の場合は、母親から受け継いだものではない。うちの母親は、よく喋るし、声はでかいし、とにかくうるさい人だった。今にして思えば、こんな人に喋れない子どものつらさを理解できるわけもなかった。特に、緘黙という言葉もなく、ネットで簡単に調べ物ができない時代においては。
 父親は、無口というわけではないが、うるさい母親と比べると大人しい方だ。母方の親戚が集まった場面でも、それほど社交的に喋るタイプではなかった。緘黙が、両親のどちらかの血を引いたものであるとするなら、それは父親の方だ。
 では、父親が、喋れない私の気持ちに寄り添ってくれたかといえば、そんなことは全くない。父親からは、話をしなさいとか、お礼を言いなさいとか、説教じみたことを言われたことはない。
 逆に私も、これまで父親に何かを相談したことはない。学校で喋れなくて苦しいこと、中学でいじめられたこと、高校で友達ができずに孤独だったこと、社会に出て緘黙後遺症に苦しんだこと。全て一人で抱えてきた。
 もちろん、母親に相談したこともない。母親が相談相手にはなりえないことは、幼くしてこのお年玉問題から悟っていた。

言葉にできない思い

 場面緘黙症の人には、「ありがとう」や「ごめんなさい」が言えなくて苦しんだ経験が、きっとあると思う。
 もしも今、保育園・幼稚園や学校、そして家庭で、特定の場面以外で喋れない子どもの存在に気づいている大人がいたら、どうか気づいてほしい。コミュニケーションの手段は、口から発する言葉だけではないことを。目の前の子どもが、「ありがとう」や「ごめん」を言わないからと言って、そうした気持ちがないわけではないことを。
 表情から、視線から、仕草から、読み取ってほしい。
 彼らは、言葉にできない思いをきっと持っているから。

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