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「何で喋らないの?」という質問に意味はない。聞いたところで喋れないんだから。

 noteの最初の投稿は、場面緘黙(ばめんかんもく)とは何か、から始めたい。
 緘黙をいう漢字を初見で「かんもく」と読むのが難しいほど、一般には聞きなれない言葉だろう。場面緘黙の理解促進に取り組んでいる非営利の任意団体「かんもくネット」のホームページには、次のように書かれている。

家庭ではごく普通に話すのに、幼稚園・保育園や学校などの社会的な状況で声を出したり話したりすることができない症状が続く状態

かんもくネット ホームページ「場面緘黙とは」

 これが、緘黙だ。この投稿では、これから「場面」という言葉は省略して、「緘黙」と表記することにする。

 私が、緘黙を発症したのは、保育園入園がきっかけだった。
 “気づいた時”には、保育園では喋っていなかった。家では家族と普通に話しているから、発声の能力自体に障害があるわけではない。家を出て、保育園や学校などの特定の場所に行くと、あるいは、友達や近所の人など家族以外の人が近くにいると、途端に喋れなくなった。

 なぜか。

 それは、自分にも分からなかった。繰り返すが、気づいた時には、そうなっていた。緘黙に関する専門書には、子供の場合は、「不安」によるものと書かれている。医学的には、不安症群に分類されているようだ。あの時、一体何が「不安」だったのか。自分でも分からない。

 保育園児から小学生、中学生と歳を重ねるにつれて、理解のない人から何百回と聞かれた。「何で喋らないのか?」と。
 その質問に意味がないのは、そもそも緘黙で喋らないのだから、聞かれたところで答えられない。それに、本人にもその「なぜ」が分からないのだ。発話という手段ではなくとも、答えようがない。

 だけど、次第に、単なる質問では終わらなくなった。
 喋らないことを茶化されたり、責められたり、咎められたり、中学ではいじめられた。「やめて」とも言えないから、やられたい放題で、ただ耐えるしかなかった。

 発症した35年前は、緘黙はおろか、発達障害という言葉も存在しなかった時代だ。インターネットもなく、この症状が何なのか、調べる術もなかった。だから、「普通ではない子」は、「変な子」と見なされた。
 誰からも理解されず、親でさえ、苦しんでいる私に寄り添ってはくれなかった。
 この時のつらい体験は、今なお私を苦しめている。

 このnoteには、主に自分の体験を記していこうと思う。
 緘黙によって得たものはなく、むしろ得られなかった「普通のこと」の方が多いと思っている。それでも、たった一人でも、同じ症状で苦しんでいる子の役に立つ可能性があるのならと投稿することにした。
 そして、緘黙があっても、私のように、大学を卒業して、社会に出て、不器用なりに働いているん人もいるということを伝えられたらと思う。
 どうか、喋れなくてつらい思いをしている子の心が、少しでも軽くなりますようにと願いを込めて。

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