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【番外編その2】希望がないこの国に、子どもを産み落としたいと思うか?

 このnoteは、自分が緘黙児だった頃の体験を書こうと始めたものだ。
 ここ数か月は、記事の更新をしていなかったから、そろそろと思い過去の記憶を手繰り寄せようとしていた矢先に、衆議院解散と総選挙の可能性があると報じられるようになった。
 前回の総選挙は、2年前の2021年にあった。まだ任期の半分も過ぎていないにも関わらず、また選挙をやるという。
 野党が、内閣不信任案を提出することが解散の大義になるとか国民に信を問うとか、そんな政治家の暇つぶしに付き合わされることのあまりのバカバカしさに、衝動的・感情的ではあるが、思ったことを投稿することにする。


希望だけがない

「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」

『希望の国のエクソダス』村上龍

 村上龍の小説『希望の国のエクソダス』の中で、中学生が国会でこう演説した。
 この本が刊行されたのは2000年。当時俺は、高校生だった。
 クラスメートの誰一人として、俺が家族と教師以外とは全く喋らなかったということを知らない新しい環境に身を置けたこともあって、高校からは何とか場面緘黙は脱したものの、人との接し方やコミュニケーションの取り方が全く分からないから、「緘黙」から「寡黙」に昇格した程度だった。友達はできず、授業で当てられたとき以外に喋ることはほとんどなく、孤独で退屈で生きがいのない毎日を過ごしていた。当時この本の存在は知らなかったが、<この国>に希望なんて感じていなかった。

 あれから23年が経った。
 刊行当時生まれた子どもも大人になり、中には親になっている人もいるだろう。
 <この国>は、何か変わったのか? 希望はあるのか?


・・・ないよ。


 緘黙を脱し、社会に出て、今は“普通”に働いているとはいえ、毎日朝が来ることが絶望でしかない。仕事はキツイ。生きづらい。今この人生が終わっても、悔いはない。
 相変わらず<この国>にも、俺自身にも、希望なんかない。

少子化の理由と少子化じゃない奴ら

 この国の社会問題の一つとされる少子化は、俺が子どものときから言われていた。何でこの国は、いつまでたっても少子化のままなのか。
 晩婚化とか、賃金が安いとか、子どもを産んでも保育所に入れないとか、いろいろ言う人はいるけど、俺は、希望がないからだと思う。この世に生を受けても、生きるのがつらいと分かっているからだ。
 つらくて苦しい思いをさせるのが目に見えているのに、そんな世の中に、子どもを産み落としたいと思うか?


思わねぇよ!


 自分の子どもにそんな可哀そうなことはさせたくない。自分みたいなつらい経験はさせたくない。そう願うから少子化なんだよ。

 それでも子どもを産んでいるのは、①ただのリア充か、②何も考えていないマヌケのどちらかだ。
 ①は、理想的だ。自分たちの経済状況も分かったうえで、子どもをつくり、産み、育て、親として子の成長を喜び、将来に期待し、子どものためにと一生懸命働こうとするだろう。
 一方、②は、最悪だ。子育てをする能力も経済力もない。1年先のことも考えられず、ただ子どもをつくって、産んで、それだけ。そういう奴らに限って、少子化とは無縁だったりもする。結婚して、離婚して、また結婚して、あるいは未婚のまま何人も産む。そうやって産み落とされた子どもが、この世で、この国で、この社会で、この親のもとで、どんな思いをするかも想像できずに。

絶望の朝が来た

 選挙のときにだけ駅前に立って、聞くに堪えない騒音をまき散らしたり名前を連呼したりする国・都道府県・市区町村議会の全ての議員(「バカ」とルビをふりたい)とその他の立候補者どもよ。
 あるいは、選挙期間中ではなくとも、朝の駅前で、ゴミにしかならない活動報告とやらを配っている現職の政治家よ。
 お前ら、駅前に立つんじゃなくて、朝の満員電車に乗って、投票を“お願い”したり、そのゴミを配ったりしてみろ。俺たちが毎日どんな思いで、混んだ電車の中で、つり革につかまって、踏ん張って立っているか知らないだろ。
 俺は、緘黙という不安障害とその後の後遺症によって、約40年間もがき苦しんできたが、一度として政治家に相談したこともなければ、救われたことも、希望を感じたこともない。今なお、絶望の朝と毎日戦い、仕事を辞めたらご飯が食べられないから、仕方なく、歯を食いしばって働いている。
 それなのに、お前らの多くは、選挙ポスターの中で笑っていやがる。だから不快なんだ。お前らの薄っぺらい言葉も、その笑顔も、不快でしかない。

 フィクションとはいえ、<希望だけがない>と言われて23年、<この国>は何も変わっていないのに、次の選挙に、ましてや今の子どもが大人になる10年後20年後の<この国>に、希望を持てるわけがない。
 何が解散風だ。真夏に選挙をやって、エアコンもなく灼熱地獄になる体育館の投票所に来させようとするな。高齢者を熱中症で死なせたいのか。何でそんなことも分からないんだ。何も分からない奴らが暇つぶしで政治をやっているから、何も変わらない。
 選挙の大義なんて、<この国>の希望なんて、20年前からないんだよ。

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