なぜ男子サッカー五輪代表は23歳以下なのか サッカーで学ぶ五輪の歴史

なぜ男子サッカー五輪代表は23歳以下なのか
答えは簡単だ。
ワールドカップの価値の維持のためだ。
五輪とワールドカップで世界一を決める大会が二つあると相対的にワールドカップの価値が下がってしまう。だから五輪の出場権を制限することでワールドカップの価値を保とうとしているのである。
ただ、それで終わるとこの話は面白くない。
ここでは男子サッカー競技から五輪の歴史を学んでいきたい

アマチュアスポーツの祭典としての五輪

男子サッカー競技が23歳以下に出場権を絞ったのがいつの大会からか?
正解は1992年のバルセロナ五輪からだ。
だが、五輪でサッカーが行われたのは1900年のパリ五輪が最初である。
約100年もの間、五輪もワールドカップのような世界最高の大会であったのであろうか?
それは違う。五輪は1984年のロサンゼルス五輪までの間アマチュアしか出場できないアマチュアスポーツの祭典であったのだ。
だから、
アマチュアNo1を決める大会が五輪
プロアマ関係なくNo1を決める大会がワールドカップ
と棲み分けができていたのだ。
それではそもそもなぜ五輪はアマチュアのみの大会であったのであろう?

近代五輪は欧州貴族のサロン

近代五輪の目的はスポーツを通じて国家間で友好な関係を築くことであった。
その際に中心となったのが欧州の貴族たちであった。
欧州の貴族たちが普段趣味で行っているスポーツで共に汗を流すことで友好関係を築こうとしたのである。
だが、近代五輪開始の時期はメジャーリーグやイングランドサッカーなどのプロ化の時期と重なる。
ここからはおそらく推測ではあるが、スポーツを趣味で行い、国家間の友好という崇高な目的に勤しむ貴族たちにとってプロスポーツ選手のガチ勢は下賤な連中に見えたのであろう。
そのため、五輪の出場権はアマチュアに限るといういわゆるアマチュア規定が設けられた。
余談にはなるが、このアマチュア規定に引っかかり、陸上競技で出場しメダルを獲得したが、野球のマイナーリーグに出場経験があったということでメダルを剥奪された選手もいる。

盛り上がる五輪 ステートアマ、カンパニーアマの登場

当初はそんな欧州貴族のサロンであった五輪であったが、回を追うごとに盛り上がり、いつしか国威発揚の場としての大会になっていった。
そんな五輪に登場したのがステートアマとカンパニーアマである。
国威発揚の場となった五輪は戦後の冷戦において活用された。
社会主義という新たなる社会構造こそが資本主義より優れていることを証明するために社会主義国家は五輪で成果を出すことを追求した。
社会主義国家はスポーツ選手に国家公務員としての職業を与え、実質的なプロ選手を育成した。
資本主義国家はこれに対抗すべく、企業が支援するカンパニーアマ、日本で言うところの実業団選手を育成し対抗を図った。
アマチュア規定は形骸化し、五輪は実質的なプロ選手(偽装アマ)の大会となっていった。
だが、各競技は五輪のために正式なプロ化をためらいアマチュア規定はスポーツの発展を妨げるものとなっていた。
そんな中、プロサッカーは最初から排除対象となっていたため、五輪とはそもそも無縁に発展し、今の繁栄につながった。
ちなみに冷戦中にも当然五輪でサッカーは開催され、1952年から1980年までの8大会全てで社会主義国家が優勝した。

プロ化の解禁 五輪サッカーの新たなる位置付け

そんな偽装アマの大会になってしまった五輪だったが1984年のロサンゼルス五輪で遂にアマチュア規定を廃止し、プロ選手の参加を容認することになる。
これは多くのスポーツにとって発展するための鍵となる出来事であったが、一方でサッカーは新たなる問題を抱えることになった。
男子五輪サッカーの位置付けである。
すでにサッカーワールドカップは世界的大会として人気、興行共に大成功を収めており、世界中に競技は普及していた。
五輪でわざわざ世界大会を開かずとも男子サッカーには何の問題もなかったのである。
それどころか、五輪で世界大会を開いても分け前が少なく、W杯の価値を落としかねないのである。
一方で五輪側にとってドル箱競技であるサッカーには世界大会を開いて欲しかった。
その妥協点として当初見出されたのが、ワールドカップに出場していない選手に出場権を与えると言う方式であった。
この方式で1984年と1988年に男子サッカーは開催された。
その後、年代別世界大会の一部とする方針となり1992年バルセロナ五輪から23歳以下の代表となった。
だが、観客動員が伸び悩み、1996年のアトランタ五輪ではオーバーエイジが付け足された。
これにより現在の23歳以下代表➕オーバーエイジ三人となったのである。

招集権 五輪代表に招集できない

そして現在、男子五輪代表をめぐる問題となっているのが招集権の問題である。
五輪代表の招集には強制力がなく、クラブ側が招集に応じてくれないのである。
よって五輪が23歳以下の代表になっていないのである。
東京五輪ではフランスがメンバー招集に苦しみ、本来ならエムバペ、カマヴィンガなどの史上最強メンバーを組めるはずがほとんどのチームから拒否され、日本に4−0で負けると言う無惨な姿を晒した。
ちなみにスペインは国内法で国内クラブに対し、五輪の招集権を強制化しておりほぼベストメンバーで挑み、銀メダルを獲得した。
この招集権問題は今までは日本とは無縁なものであった。Jリーグは発足の経緯からしても五輪に協力的であったためである。
だが若手の欧州組が増えた昨今では日本もベストメンバーを組むことは難しくなっている。
過去には久保裕也選手が招集拒否にあい五輪に出場できなかった。

最後に

以上が男子サッカーで学ぶ五輪の歴史であった。
ちなみに下記Wikipediaにより細かい部分は書いてあるので、もっと詳しく知りたい方は読んでもいいと思う。






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