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愛子さまの和歌 千年後も残る言葉【お経と韓国ドラマ】
つい先日、愛子さまの和歌が話題となった。
幾年の難き時代を乗り越えて和歌の言葉は我に響きぬ
今年の歌会始の儀のお題は「和」
大学で古典文学を学んでいたという愛子さまは、
時代を超えてきた言葉が、自分の心に響いていくる感銘を詠んだ。
SNSなどの反応では
「感動した!」「涙が出ました!」などの声が寄せられた。
愛子さまの、遠い時代の人にも思いを馳せれる感性。
読んだ人は愛子さまの成長を感じ、心を打たれたのではないか。
和歌の教養がない私でも、スッと言葉が頭の中に入り、素敵な歌だと思えた。
何より気に入ったのは「幾年の難き時代を乗り越えて」というところ。
私は昔から、「時を超える」というロマンチックなテーマに心惹かれてしまうのだ。
(例えば、輪廻転生、タイムトラベル、前世の記憶、パラレルワールド等。)
時代を越える作品。千年後も残る言葉。
愛子さまに響いたのは平安時代の和歌であったが、
私にとってのそれは何だろうと、ふと思った。
一番身近なのはお経だろうか。
法華経も千年の時を超えた言葉
私たち日蓮宗で読むお経は法華経だ。
成立は諸説あり、定かではない。
だが、だいたい西暦紀元1世紀末から3世紀始めだと推定されている。
お経として形になったのは、お釈迦さまが亡くなって500年以上経ってから。
法華経は他のお経と比べて文学的だと言われている。
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例えば、私たちが毎日のように読む寿量品第十六で、お釈迦さまはこう言う。
私が仏になってから長い長い年月が経ちました。
人々を救うため、私は一度死にましたが、
それは実際に死んだのではありません。
私は常にこの世界にいます。
不思議な力によって、姿を見せたり消したりしているだけなのです。
私が、法華経でお釈迦さまに抱いた印象は
「まるで時間の擬人化みたいだな」である。
仏さま自体が概念であり、時代を超えた存在。
いつも私たちのそばにいれくれて、どんな時も寂しくないよ。
超自然的でありながら、人間味も感じられる言葉。
これは、私が心惹かれるロマンチックさにも通じる。
私の国土は安らかであり、天人や人々で溢れている。
天人たちは天の太鼓を打ち鳴らし、音楽をいつも奏で、花を空から降らしている。
これもなんと美しい。
特に「空から花を降らす」(雨曼陀羅華)という表現が好きだ。
仏を信じて訪れる救いを、このような情景で表していることが良い。
言葉の力
突然だが、私の好きな韓国ドラマに『新米史官ク・へリョン』がある。
(Netflixで見れる)
これは韓国の朝鮮王朝時代劇であり、
宮廷の出来事を記録するという女性史官のお話だ。
主人公のへリョンは物語終盤、先輩史官にこう告げられる。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/128738655/picture_pc_faee0c8cf80204dfacc21703ddc78dcc.png)
以前私が苦しんでいた時期にある文を読んだ。
『絶大な権力も数十年で衰退するが、筆の力は千年後も生き続ける』
それを読んで史官を目指した。
すぐには何も変わらぬが、いつか私も筆誅を加えられたらと。
このセリフに全部に、言葉の力が現れている。
先輩史官自身も、太字の言葉によって心を動かされ、
史官になるという行動にまで至っている。これは凄まじい力だ。
権力では、ここまで人を動かせないだろう。
例えば、「平家」が滅亡しても、「平家物語」は今も残っているのは
その物語に感動する人たちが沢山いたからだ。
言葉の力とは、それを受け取る感性があって発揮され、
長い年月を生き抜くことができるのだと思う。
感性を大切に
和歌のような古典が、千年の時を越えられたのは
愛子さまのように、心を揺れ動かされた人が大勢いたからだ。
以前から、愛子さまの登校拒否や心身の不調などが報じられていた。
皇族の立場もあり、きっと世間の人々には知り得ない辛い時期もあっただろう。
それでも、和歌の美しさを受け取れるような感性を、
1人の人として育まれていたことが本当に素晴らしい。
どうかこれからも健やかに、豊かで素直な感性を大切にしていって欲しい。
と勝手ながら、1人の僧侶は思いを馳せた。
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