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「誰でもできる仕事」という考え方

①コロナ禍で始まった「エッシェンシャルワーカー」という呼び方

私は「エッセンシャルワーカー」という呼び方が嫌いです。
何か問題(差別?)が起きたら名前を変えて、元の呼び方をしている人たちを非難するようなすり替えが、私にはごまかしにしか感じません。

その人たちは今までも何も変わらず真摯に仕事をしているだけなのに、扱いを悪くしていったのは世の中の人たちだからです。

ただ評価できるのは、「その仕事、そしてその仕事をする人たちがいないと世の中が回らない」ということに気付いた人たちが、やっと現れたからです。
これだけは本当に良かったと思います。

②ずっと嫌いだった「誰にでもできる仕事」という言い方

私は田舎の小さな会社の3代目社長で、その仕事は「エッセンシャルワーカー」と呼ばれるような仕事です。
小さな会社でも親の背中を見て育ち、後を継ぐために頑張ってきたと思っているので、お世話になっている地域のためにと思って経営してきました。

しかし、バブル景気の前後くらいから違和感を感じるようになりました。

それは特に少し前からIT系の経営者などが口にする「誰にでもできる仕事だから」という言葉です。

「誰にでもできる仕事」「簡単な仕事」をしてるから給料が安い。
そんな仕事をしてる方が悪いんだという風潮になってしまったと思います。

私は子供のころから、両親がこの仕事をしてお客様に感謝してもらい、自分を育ててくれた姿を見てきたし、社員や同じような仕事をする人たちを見て、みんな大変でかっこいいと思って生きてきたのに、なんでこんなに低く見られる世の中になってしまったんだとガッカリしています。

③本当は誰かに「代わりにしてもらっている仕事」

どんなに低く見ようとも、結局誰かにその仕事をしてもらわないと世の中は回りません。
運送業のようなインフラだけでなく、コンビニもそうです。
結局は全てインフラのようにみんな依存しています。

「それしかできない人が悪い」と言ってないがしろにしてきた結果、とうとう従事する人がいなくなって来ました。
そのために外国から安く使える人を連れてくるようなヒドい状況です。

でも本当は「代わりにしてもらっている」んです。
いい大学を出て高収入の人たちがやりたくない仕事を、その人たちがやってくれているんです。

以前はそういった仕事でお金を稼げていたので、貧しくてもそこから努力してお金持ちになるというサクセスストーリーがありました。
しかし、今となってはその仕事をすると人生が終わってしまう恐怖すらあります。

値上げをしないから悪い、給料を上げないから人が集まらないんだと今になっていう人が増えてきましたが、もともとはその人たちがその仕事をバカにして、値上げができず給料が下がる圧力を作ってきたと思っています。

④更に進むエッセンシャルワーカー化

失われた30年によってエッセンシャルワーカーと呼ばれる人たちの所得は減らされ続けました。

失われた30年が続いたのはデフレのせいが大きいですが、そのデフレを加速させたのは「誰にでもできる仕事」扱いをして、その人たちの給料を下げていったことだと思います。

そして最終段階として、各業界の下請け構造の下部の人たちが同じ扱いをされて来ました。
下請け・孫請けを安く使い、大企業の社員だけが高い所得を得る構造です。

実務能力が失われ、調整能力に特化した大企業が増えることで、結果として付加価値を生み出せなくなり、更に下請けを叩くという構造が建設業界だけでなく、全ての業界で発生しています。

つまり、下請け構造が無いと仕事が回らないのに低く扱うという「悪い意味でのエッセンシャルワーカー化」が起きていると思います。

まずは「誰にでもできる仕事」という考え方、言い方を止め、多重下請け構造を解消しなければ、最低賃金を上げても何も変わりません。
今起こっているネット・アプリによる「フリーランス化」で、新しい抜け穴ができてしまっているからです。

世界中でトラブルが起こっている今こそ価値観を変えて、もっと本当の意味で相手をリスペクトするようになって欲しいと思います。


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