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私が体験した奇妙な事。其一
幼稚園児の僕が語る。『雲の階段』
僕のおばぁちゃんは優しかった。顔は覚えてはいないけど、赤ちゃんだった僕をゆりかごに乗せ、寝かしつけたてくれたおばぁちゃんが優しかったのを覚えている。
キラキラ明るい。そんな思いで。
あばぁちゃんとお別れしたのは、何もわかっていないころ。
叔母に促されて、暗い部屋で横になっているおばぁちゃんの口に、筆で水を塗ったのを覚えている。
姉達には厳しかったおばぁちゃん。僕には優しかった。長いこと奥の部屋にいたきりで、会いに行こうとすると止められたことを覚えている。会えたのは久しぶりだったけど、皆、黒い服を着て泣いていたな。
でも、それからおばあちゃんとは時々夢の中で会っていたよ。おばあちゃんの香りがしたっけ。
本当にさよならしたのは、小学校に上がる前かな。
長い長い雲の階段を、あばぁちゃんと手をつないで登っていたんだ。たくさんの人が、うつむき加減で青い空に伸びる雲の真っ白な階段を登っていたんだ。二人で歩けるくらいの階段。くるくると渦を巻くように空に伸びていたっけ。楽しかった。
木の門があった。
白木でできた、普通の木戸。
他の人はみんなそこをくぐり、その先に進んでいた。
おばぁちゃんは僕の手をきゅっと握り、その木戸をくぐらせなかった。
「いつしょに来れるのはここまで。ここから先は行けないんだよ」
おばぁちゃんは優しい声で言ったっけ。僕は駄々をこねたと思う。
「帰りなさい」
そう言われて、僕はしぶしぶ帰り始める。
ふと振り返ると、木戸のところにはおばぁちゃんが笑顔で立って見送ってくれていた。あんなにたくさんいた人は誰もいなかった。
ただ、おばぁちゃんの横に見たことはないけど優しいおじいちゃんが立っていたっけ。
あれは祖父だったんじゃないかと思っている。
それいらい、おばあちゃんの香りはしなくなった。
今の私が語る。『光』
悪いが私は霊感などは信じていない。
そんなもの自分にはないと思っている。
悪意ある幽霊なども信じない。
それは、ちょっと違うと思ってしまうのだ。
先日、お通夜に行った。遠い親戚のお通夜。血のつながりもなく、私を知っている親戚もいたが、私の方は忘れていた。
お寺さんがお経をあげていた。
私はあんな日記みたいなものが何でありがたいのかさっぱりわからない。いつもそう思ってしまう。お坊さんはいつも金ぴかな身なりをして、権威の塊みたいに感じてしまうのだ。
どんな宗教でも、私はきっとそう思うのだろうと考えている。
つまるところ、葬式とは生きている人間のための儀式なのだ。気持ちよくさよならをするための。
そんなことを考えながら、ふと棺の上を見る。
瞬きよりも短い瞬間。
青白い、小さな光が見える。
ちらっ ちらっと二つ。
周りを見るけど、誰も気が付いてはいない。
戸惑っているのかなと思う。
あそこにいるのかな。
ごくまれに、青いきらめきはお通夜の席で見かけることがある。目の錯覚のようなもの。その後は見えない。
そういえば、昔、ある会社の2階から夕暮れの外を眺めていたら、隣の平屋の屋根から、突然ボールくらいの青い光がすっと上がってすぐ消えたのを一度見たことがある。
次の日はそこで葬式があったっけ。
怖くない。そんなものを感じていない。ほんの瞬きのようなものだから。なんか光ったなで終わる。
あの光は、思い出の地をめぐり、くるくると舞いながら雲の階段を上り空を目指すのだろうか。
「宇宙飛行士は空を上っていく魂の群れに出会うのかしら」そんな感じの英語の歌詞の歌があったよなぁ。
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これ、全部実話です。私が体験してることです。でも、本当に自分に霊感などあると思わないし、すごく怖がりですが、その時には怖くないことのほうが多いです。怖い体験はまた、そのうち。
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