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東京の某市に住んで居た頃の思い出

 皆様お疲れ様です。
 唐突な話ですが、私、学生時代に東京の西の方に住んで居ました。
その市とその周辺には大学が沢山有りますし、よくある話だと思いますが、時折ふと思い出すので、ここで吐き出させて下さい。
(写真はフォトギャラリーから使わせて頂いたので、本文とは全く関係ないです!)

 ちなみに(?)私の息子は県内の大学へ進学し、自宅からの通学、娘は県内の専門学校への進学と自宅からの通学を希望してますので、多分、きっと、おそらく、大丈夫(??)だと思います。

 私の場合は、弟が二人いて、親に負担がかかる事から、進学を諦めようと思った時期も有ったのですが、高校の担任に「新聞奨学生制度」がある事を教わり、結果として進学出来たのでした。

 当時、その制度は首都圏や札幌、大阪や福岡でしかなく、仙台では無かった為、やむなく首都圏の大学に進学しました。
当時の私は、少なくとも「地元の私立大」以上のレベルで、新聞配達員になるからには「自転車よりバイクが良い」、更に授業料もなるべく安い所といった基準で探しましたので、多摩地区の某市に住む事になったのです。
(国公立に進学出来る程の成績ではありませんでした)

 新聞奨学生はその名の通り、新聞販売店の配達員として勤務し、奨学金を受けるほか、給与も支払われるという恵まれた環境でした。
新聞販売店の借りたアパートに住んで居た訳ですが、その2軒隣には地元で複数店舗展開しているスーパーマーケットが有り、夕刊を配り終わった後に訪れると、丁度値引きシールを貼られる時間でして、総菜等を安く買っていたものです。

 そのスーパーマーケットには卒業後に某市から離れた為、行く事が無くなったのですが、就職して数年後、そのスーパーマーケットで銃撃事件が有り、ニュースで見る事になりました。

 その後もテレビ番組で何度か再現映像で見かける事が有りましたが、近年見かけた再現映像では店内の配置がそっくりで、驚いた事が有りました。

 本当は楽しい事や、苦しかった事、色んな思い出があるのですが、いまだに夢に出てくるのはこのスーパーマーケットで買い物している状況です。

 最後になりましたが被害者とその遺族の皆さん、近隣の皆さん、その他関係者の皆さん、不幸な事件でしたが、忘れる事なく前を向いて進みましょう!
 そう述べている私が進めて無いのかも知れませんが。

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