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ものぐさ生活史 2024年2月10日〜13日

10日

本を読んで気に入ったことばをコツコツ集めて記録してる。
別に何かに使うわけじゃなく、ただの趣味。
基本的に貧乏性だから本を読んだら何か記録しておきたい欲望に負ける。
今日、目についた文章たちがこちら。

ひとは、不正をされないよりも、不正をしないように用心しなければならない。そして、なによりも、ひとは、公私いずれにおいても、よい人間と思われるようにではなく、よい人間であるように心がけねばならない。

プラトン著、中澤務訳『ゴルギアス』

われわれは散文的な生活活動のなかで、生命が詩的であることを忘れているが、同時にわれわれは幸福感に酔っているときに、生命が残酷で恐ろしいことを忘れている。

プラトン著、中澤務訳『ゴルギアス』

誰もがとても幸せで、誰もあなたのことなど考えていない。そしてこれが、いつもどこでも私に起こることなのだ。誰もが、地球上の自分の小さな場所、暖かいストーブ、一杯のコーヒー、妻、夜の一杯のワインを決めて、それで満足している。いつも1秒遅れて到着するような、まるで世界のすべてが私のことをまったく考慮していないかのような。

ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ

だからなんだって話。
まあ、こういう言葉を集めてWordに記録してプリントアウトしたものを眺めるのが好きなんだ。

寺山修司に「ポケットに名言を」っていう本があったけど、あれと似たようなもので、言葉を集めたがる変態志向が俺にはある。


12日

他者の目をどの程度気にするかという問題。
相手にどう見られるかどう思われるか、を考えることは、自分がどう見られたいかどう思われたいか、を考えることに等しい。

自己提示の問題。

具体的な話。
電車でスマホを見るという行為。それもくだらないアニメを観ることにしよう。
電車でスマホを見れば必ず他者の目に映る。この時、その相手にどう見られるかを考えることになる。

「ああ、この人はこういう趣味があるんやな。」と思われる。

これって俺としてはかなり嫌なことで、見られたくないし、自分を晒したくないという気持ちがある。
漫画なんかも読めない。

「ああ、この人はこんなんを読んでる」と思われたくない。

これは「他者の目」からの「推論」を恐れてるってことになる。
自分を察せられたくない、本姓を隠したい、という心がある。
いや、実際となりの知らん男がなにを見ていようと、どんな趣味を持っていようとはっきり言って他者はどうとも思ってないんだよ。ただの風景。
他者は他者にとって風景。そこに何かしらの判断があるにしても、基本的に注目には値しない。
自分だって他者に対してはそうだ。
今日会った人たちがどんな内容をスマホで見ていたか、全く思い出せないし、死ぬほどどうでもいいこと。

それは分かっている。
しかし、自分としてはそれがかなり気になる。

これが、自己提示の問題。
自己愛の問題。
ナルシズムである。

自分と他者の価値判断に差がある。
つまり、自分のことは大きく見積もって、他者のことは低く見積もる。
重要度の差が著しいのでこのギャップがでる。
修行が足りない。


13日

今日はまるちゃんと代官山でランチ。
代官山はおしゃれでナウい。
男なのにヘアオイルをつけてる美男子たちがたくさんいる。まったくの偏見だけど、代官山にいる男たちって体臭がなさそう。いい匂いしそう。
あと、脱毛とか行ってそう。

まぁ、それはいいとして。中華を食べた。
店の名前は忘れたけど結構いい店。ちゃんとした中華って謎のスパイスが入ってて食った初手はびっくりするけど慣れるとめちゃくちゃ美味くなってくんだよな。

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