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車中泊旅の記録~野麦街道を行く

最近、過激派の桐島 聡と思われる人が亡くなりましたね。
私たちの世代にとっては、感慨深いものがあります。
内田洋と名乗っていたようです。 
歌謡曲のグループに、「内山田洋とクール・ファイブ」というのがありました。 内山田洋→内田洋、としたのではないでしょうか?

2023年秋 野麦街道に行きました。 野麦街道は、飛騨高山の女性たちが、岡谷の製糸工場に働きに行くために通った道です。
車で走っていると、右側に石室がありました。

野麦街道は冬、厳しい寒さのため、凍死者が毎年でました。 
不憫に思った庄屋様が、自費で石室を作り、遺体を収容してあげたのです。

標高1600m 野麦峠に到着して、ハイキング準備です。 最近、熊の出没が問題となっているので、ベルトに熊よけスプレーを装着しておきました。
お助け小屋の横から、野麦街道を歩き始めました。

ここから歩き始めます。
野麦街道は山道です。女工たちは雪の中を、登山靴もなく歩いたのでしょう。

野麦峠には、映画「あゝ野麦峠」の、政井みねの石碑がありました。

岡谷で女工として働いていた政井みねは、病気を患い飛騨に帰ることになりました。
兄が迎えに行き、背負われて野麦峠を超える時に、「あゝ飛騨が見える」と言いながら、息を引き取ったそうです。

野麦峠を後にして下ってくると、右手に懐かしい建物がありました。
野麦学舎といい、昔は学校の校舎でした。

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