ぽん太の東海道五十三次歩き旅(13)原宿→富士
こんにちは。ぽん太です。昨日に続いて原からの旅を続けます。
旅日記
2022年9月17日。今日は台風14号の影響で午後から雨が降るということで、早めに宿を出発。7:40には昨日の終点JR原駅に到着。
旧東海道は交通量が多い割には歩道が狭いので、またもや松並木をゆっくり歩くことに。時折海岸線に出たりしながらひたすら歩き、東田子の浦駅近くの浮島が原自然公園に10時到着。
「田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ」(山部赤人『新古今集』より)
この歌にあるように富士山を期待したものの、今日も残念ながら姿を現してもらえず・・・
かつてはこのあたりは沼地が多かったが、新田開発が行われ、今は沼や湿地はここに残されているだけである。
ここで久しぶりに国道1号線に合流したが、東京からの距離は137キロ。直線距離では平均1日10キロ程度しか歩いていないことになる。この調子だと京都まであと30日以上かかりそうだ。少しピッチをあげなければ!
東田子の浦からは旧東海道に戻り、交通量に悩まされながらも間の宿柏原あたりからは交通量も減り、歩きやすくなる。
11:15には妙法寺(毘沙門天)に到着し、少し休憩する。ここは、高崎・深大寺と並び、「だるま市」で有名なお寺だそうだ。このあたりはかつての吉原宿(元吉原)があったところだが全く面影がなく、巨大製紙工場が大きな威圧感を醸し出している。吉原宿は津波などの影響で、2回ほど町全体引っ越ししており、江戸時代には今の吉原本町に移っていたそうだ。
11:45にJR吉原駅に到着。予定では今日はここまでだったが、雨はまだ降りそうもないので、今夜の宿まで歩くことに。
12時半頃、左富士碑に到着。7日目の茅ケ崎で見た南湖の左富士と同様、東海道を江戸から京都に歩いていって左手に富士山が見える珍しい場所である。南湖の左富士の時は富士山はぼんやりと姿を現してくれたが、今回は残念ながら裾野しか見ることができなかった。
そして源平の富士川の合戦で平家軍が水鳥の一斉に飛び立つ音を源氏の夜襲と勘違いして逃走したと言われる平家越えの碑を超え、製紙工場群を抜けると吉原宿(吉原本町)だ。もう13時過ぎなので、蕎麦屋で昼食をとる。
実際の左富士は下記↓のように見えるようです。(くにみちさんのnote記事より)
昼食後吉原本町の商店街をブラブラしながら市街を抜け、また旧東海道の人気のない道を歩く。途中、磔八幡というおっかない名前の神社を過ぎると、富士市の街中だ。
今日のお宿は、富士駅前の銀座商店街に近い旅館であるが、まだ3時前で、チェックインには早いので、商店街の喫茶店で少し小休止。バナナスムージーが体にしみる。
今日は天気は何とかもってくれたが、3連休最終日の明日は残念ながら天気が荒れるとのことで、歩き旅はやめて身延線の電車旅に変更。富士宮やきそばでも食べて帰るとするか。
記録
総歩数:31,916歩
実際に歩いた距離:19.1km
訪れた宿場:吉原宿
宿泊:ふるいや旅館(富士市)
本日の行程
広重の絵
(出典)
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