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ありのままを受け入れることが大切かもしれない

こんにちは、ALP港南台です。
今回は、私たちが何かと交流のあるAくんとの会話で感じたことについてお話ししたいと思います。

子どもに限らず、誰にでも幸せな人・不幸な人という基準があります
大人が子どもに接するときも、子どもを「幸せ」と見るか「不幸せ」と見るかはとても大切になります。

見方しだいでは、子どもを「自分は不幸せだ」と感じさせてしまう可能性もあるからです。

このことは私たちだけではなく、子どもに接するすべての人が覚えておくべきことだと思います。

テレビは極端な例かも

ヤングケアラーの特集番組を見てテレビ番組を観て、Aくんはこう思ったとの事です。

こんな風に特集されるほど実は不幸じゃないんじゃないか?
周りがその状況は不幸だと勝手に同情して、本人をあおっているんじゃないの?

ヤングケアラーとは、学校生活に影響が出たり、心身に不調を感じるほどに家族の手伝いや手助けをしている子どもたちのこと。
厚生労働省がホームぺージでその存在を啓蒙するなど、国を挙げて認知の拡大と環境改善に取り組んでいる社会問題のひとつでもあります。

ヤングケアラーについて
引用:厚生労働省

私たちは彼の発言を耳にし、支援を受ける側が自分自身の状況や心を受け入れられているかどうかの問題を考えさせられました。

同時にAくんは自分自身を受け入れて、理不尽なできごとにも折り合いをつけていこうとしているのかな、とも感じています。

一方で考えたいのは、支援者が自分の価値観や物差しで支援をしているのではないかということ。

不幸の基準が当事者ではないところで作られているのかもしれません。

だからこそ子どもたちを「不幸の沼」から引き揚げられていないのではないか、と私たちは感じたのです。

幸せの定義とは何でしょうか?

A君の話をまとめると、幸せな人と不幸な人の違いは「心の平和を保つ力」なのかもしれません。

たとえ他人から見て大変な状況に見えても、自分自身が「しょうがないか」と状況を受け止めて自虐ネタにして笑い飛ばせる人もいます。
必要以上に自分を憐れんでいない、いまの自分を受け入れているからできることでしょう。

反対に批判的な気分で拒否していると、どうしても不幸が付きまとってしまいます。
自分を受け入れられていないがゆえに悲観的になってしまい、周囲も不幸だと決めつけてしまう結果、小さな幸せにも気が付けていないのではないでしょうか。
言い換えれば、心の平和が保たれていないのです。

子どもは承認欲求の塊。しかし大人が同情しすぎるのも違う。
引用:博報堂教育財団こども研究所

個人の心情が絡むのは百も承知ですが、A君がテレビ番組を見て放ったひと言は、そういう意味ではないかと思います。ひがみや妬みから口にしたひと言ではないでしょう。

平和的な受け止め方をするか、批判的な気分で拒否するか。

どちらを選ぶかで幸せな人と不幸な人の違いが生まれるのだと気付かされました。

大切なのは「自分自身を受け入れる」こと。

自分を受け入れている人は、他人がどうあっても自分は自分、人は人、と見ることができています。
そのため不幸を感じることが少ないのでしょう。
Aくんはたまたまそういう人であったため、今回のようにものを捉えたのだと思います。

私たちが子どもたちのためにできるのは、雨風をしのげて暖かい布団と食事を提供し、規則正しい生活を送れるようにすること。
それ以上の余計な支援で入居者を不幸に沈めてしまわないように、あおり立てないよう気を付けるべきことなのではないかと考えました。

本当に寄り添うとはどういうことでしょうか
自分の物差しを押し付けてはいないでしょうか

子どもが他人の価値観に振り回されすぎることは、あってはならないことだと思います。
周囲に同情されて、子どもが「自分は可哀そうモード」に入ってしまっては元も子もないのです。

大切なのは、子どもたちのありのままの姿を見て、それを受け入れて勝手に判断せずに援助することではないでしょうか。

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