見出し画像

前に進む③


恐怖を越えて

過去に自分を傷つけてきた人や、どうしようもない無力さを味わった事柄に対して、今怯える必要はない、と思うようにしたいです。

警戒すべきこと、注意すべきことは現実を観察しながら判断することで、過去の恐怖を現実に投影しすぎるのはよくないのかなと思います。

僕は思考の癖というか習慣のようなものがあるもののフラッシュバックとかはないので、恵まれているのだと思います。

前からなのですが、僕は急に話しかけられたり大きな音がするとビクっと反応して距離を取ってしまいます。
最近気づいたのですが、外敵に怯えているというか自分の殻の中で震えている僕の精神状態を表しているのかもしれません。
何というか、自分の認知外にあるものに対して不安を感じるし、警戒する感覚があります。

選択のツケ

学級崩壊したクラスでは自分がいじめられたり他の人へのいじめに加担するよう言われる、家庭では介護を巡って母と祖母の喧嘩が頻発し自分には何もできない状況で、僕は意思と感情を麻痺させることを選びました。
それで部屋の電気を点けるとかノートの一行に何文字書くかまで決められなくなった時期がありました。
臨機応変に生活の段取りを組むことが難しかったり、誰かが言ったことをその通りに従わないといけないという考えに囚われたり、特に深い根拠もなく決めたことでも一度決めたからということで変えるのが難しかったりします。
また、スケジュール通り、誰かの言った通りにできなかった自分を(かつて僕を攻撃していた人の代理で?)攻撃する癖があります。心の中で責めたり、自分の体を搔いたり太ももを殴ったりとかしました(傷やあざができるほどではないので、自傷とまでは言えないのかな??)。あと色々物を壊しました。
大変すぎる母親を見ていたせいか、自分もあのくらいやれるばずという対抗心や同じ一人暮らしなのに自分だけ楽してはいけないという罪悪感からオーバーワーク志向になるものの、前述したように臨機応変さを持つのが難しいため余裕のある決まった段取りを持ちたい心との折り合いがつかず、ここ数年上手くいかないことばかりでした。

責任を持って決める

結局、僕に足りないのは自分の意志で責任を持って決めるという経験かなと思います。10代の頃は人の言う通り、または意図があったとしてもただ決めることしかしてきませんでした。そんな状況を打破しようと、自分の直感に重きを置いてここ数年決断してきましたがやはりそれだけではうまく行きませんでした。
決めっぱなしではなく決めたことに責任をもつことが大事なのかなと思います。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?