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自分は特別かも、という期待の裏にあったもの

家族や友達に恵まれず不幸な人生を送っている主人公のところに、いきなりイケメンや妖精が現れ「君には特別な力がある!」と言われるのは、ティーンエイジャーが大好きな物語。

私もまさにそれでした。
20歳を過ぎても30になっても、夢の中ではいつもそう。自由に空を飛べて、テレポートできて、撃たれても死なない、どんな洗脳も支配も受けない自分を持ってる能力者。

なぜそんな夢を見続けたのか。
おそらく、現実がそうじゃないからだと思います。

自分の家庭環境がキツいことに気付いたのは中学生の頃。母はネグレクト、父も妹も、家族のストレスは全て自分にぶちまけられていると感じました。

中学になれば友達と家族の話をするようになりますよね。
自分は家にいると気を遣うばかりで息がつまりそうなのに、友達はみんな「なんだかんだ言っても家が一番居心地がいい」と言うのです。
「家が一番」なんて私にはとてもそんな気持ちにはなれません。

自分は周りよりも不幸なのかもしれない……

自分だけが周りとは違う、それが「自分は特別だ」になり「自分には特別な能力があるのかも」に繋がり、「シンデレラ」や「みにくいアヒルの子」が確信に繋がったのだと思います。

特別だと思いたい気持ちの裏側にあるもの

それは「幸せではない」という事実です。

言いたい放題で心を傷つけられる。父親は自己中。盆と正月は大喧嘩でまともに過ごしたことがなく、母親は虐待を受けて育ったせいで心に問題を抱えている。
自分の思い込みではなく、客観的に見てもおかしいのは明らかです。

親に問題があることを認めるのは子供にとって恐ろしいことで、簡単にはいきません。

「血の繋がっている自分も親のようになるかもしれない」という不安や、「愛されていない事実を認める」というショック。
心がそれに耐えられないので、ぐっと押し込んで蓋をして。

常に心の中に超人的なキャラを思い描き、現実が辛くなると空想世界に逃げ込んではホッとしていました。

今考えると、「周りと違う→特別な自分→超能力者」に変換され、全ては自分を傷つけないための防御反応だったのかもしれません。

特別を「個性的である」に変えていくために

世間よりハードモードで生きている。
それを辛さではなくただの経験に変えるには自分を変えるしかありません。とはいえ、軸もなく壊せばアイデンティティが崩壊するので、そう簡単にできるはずもなく。

結局そのまま耐え続けていたら、20代半ばで抜け殻のようになり、意志とは関係なく衝動的に死にかけました。
命は助かったものの、メンタルが真っ黒というか、ブラックホールというか。心に開いた穴がふさがらなくて、苦しくて。ようやくふさがった後も空っぽで、自分らしさというものが何もなく。
あの時死ぬはずだったのに死ねなかった、その後の人生はただのオマケで意味がない……ずっとそんな感覚で生きてきました。

ところがその一方で、行動的な自分もいたんです。
結婚して専業主婦になりたい、将来は仕事せずに生きていきたいと精力的に婚活しました。今考えても、仕事をしながら何十人もの人と会って話した気力は相当なものだったと思います。

結婚してからも、子供がたくさん欲しいとか、エッセイを描いて儲けたいなど、とてもオマケの人生を生きてる人間とは思えないほどです。完全に負から生まれたエネルギーに突き動かされていました。

それができたのは、やはり心のどこかにある「自分は人生を失敗したし負い目もあるけど、超自然的な力を持っている」という「特別感」だったような気がします。
出だしは不幸でも必ず最後には幸せになれるというシンデレラストーリー。

そして現在は……

まだまだ人生は終わっていませんが、どうやら自分に特別な力はなかったようです。残念ながら何者にもなれていません。

在宅ワークとしてイラストを描いてみようとか、手芸を極めて講師になろうとか、ネットで販売などもやってはみたんですが、どれも辛くて続かない。
ようやく諦めて働きだした仕事もなんだかんだですぐに辞める。
占いで「50を過ぎたら本を書くといい」と言われたことをちょっとだけ信じてましたが、そうなる様子もありません。

「それじゃあ、何ができるんだよ~」とあがいた結果、今まで背負ってきた重荷が軽くなっていることに気が付きました。
あれ?気持ちが楽になってる。

自虐で笑いをとることもやめたし、無意識の声を大事にしようと体の声を聴くようになって、毎朝トイレで「ありがとう~」と笑顔でお腹をさすっています。おかげで以前よりもずっと穏やかな気持ちになりました。

不安を感じない、体が痛くない、
「なんて心地いいんだろう」
ノンストレスな状態を笑顔で受け入れられるなんて、昔の自分なら絶対にありえないことです。
「ストレスがない」のは異常事態、何も言われないより叱られている方が安心する、そんな感覚が消えたのです。

人にかまって欲しくて、何とかして関わりたくて。自虐ネタで笑わせ、相手が不満そうな顔をすると機嫌を取ったり言うことをきいて……本当に愚かでした。

叱られたらムカつくのが当たり前。相手がどんなに不満そうな顔をしようと文句を言うおうと放っておけばいい。

まずはそこだったんですよ。
それを50も半ば過ぎて、ようやくできるようになりました。なので次は自分の現状について観察。
何があって、何が無いのか。

よく「幸せになりたいと思うのは、今が幸せじゃないから」
「お金が欲しいと思うのは、欲しいものが手に入らないから」
と言いますよね。無いから欲しくなる。

そこで、今あるものを選ぶ。
間違っても、手に入れたい方を選ばないこと。
手に入らない、持っていないのは自分には必要ないからです。

これを何度も自分に言い聞かせないとすぐ無い方に行ってしまうので。

常に、今ある状態がベスト
だから敢えてツラい道を選ばなくていいんです。やりたいこと、楽に出来ること、楽しいと思える方に歩く。
ほんとにこれだけ。
どっちを選んでも必ず努力は必要ですから。

まあ、実際はなかなか勇気が必要なんですけど。

変化が早過ぎて予測不可能な時代だからこそ、上手く生きようとすればするほど上手くいかないと思います。

うまく行った人の真似をしたいのはみんな同じなので、その結果、人の数が増えて競争が生まれ、淘汰されてしまいます。

ということで、できれば塩沢ときや高畑順子のような図太いおばちゃんになりたいなぁ。
残りの人生、彼女たちを目指してがんばります。




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