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楽に生きるためのコツが分かってきたかも!?

今から30年以上前、私が20代だった頃の日本には、まだハラスメント体質が根強く残っていました。 

私自身も男性の多い大学に入って驚いたし、国立大の寮に入った子や、大企業に勤めた子とか、大きな声では言えませんが、会うたびに、
「男社会のやってることがエグい!」
と叫んでいました。

社内不倫、先輩の無茶振り、会社の経費で落ちる2次会、3次会で行く風俗店の話。
新人がイッキ飲みでトイレの便器を抱えたまま意識を失うなんてのはよくあることで……

昭和世代なら何となく心当たりがあるのではないでしょうか。

そんな中でつくづく感じたのは、
「バカになれる人ってすごい」

上司から「飲め!」と言われて、
「いただきますっ」
とグラスを一気に飲み干すその勇姿。
場を盛り上げるためにネクタイを頭に巻いて歌って踊れるプライドの捨てっぷり。

出世の為とはいえ、そこまでやれるなんて、と感動すると共に、
(男って大変なんだなあ……)

みんな綺麗事だけでは生きていけない

20代後半には、つくづくそのことを実感してました。

女性の立場が今ほど守られていなかったので、大企業に入って社内結婚に持ち込むのもその一つ。
後ろ盾を得るために上司と不倫関係になる子もいたし。
何が正義だとか正しいとか、そんなもんで世の中は動いてないんだと悟りました。

やりたいなら何をやってもいい!
ただ、自分で責任を取る覚悟が必要

好きに生きるということは、
人のせいにできないってことだ


己の人生は己で責任を取る覚悟を決め、それ以降はずっと自分の足で生きてきたつもりです。

32歳まで社会人をやって、その後も社宅でのママ友付き合い、幼稚園・小学校の役員も経験し、多少のマウントの取り合いはあっても、無視されたり馬鹿にされるようなことはありませんでした。それなのに、それがパートに出て働き始めてからは

「こんなことは初めて!!ありえないでしょっ!」

と思うほどダメ出しされて。

仕事をしてこなかった、資格もスキルも身につけなかったのは確かに私の責任です。
とはいえ、学歴も子育ての経験も全く意味がないなんて、それはあまりに情けない。

肩書きのないまま社会で働くということ

どんな人でも、歳をとればいつかは「ただの人」になります。
旦那にもよく言いますが、
「肩書きのないまま働くのって地獄だよ」

その時にどうするのか。
思うに、大きく二つに分かれるのではないでしょうか。

その1
動物的な本能のままに生きる

その2
自分と向き合い、本来の自分の良さを見つけて生きる

その1、動物的な本能のままに生きる、とは……

まさに「攻撃」メインの戦いです。
邪魔なものは排除し、叩いていけば確実に生き残れます。
そういう強さは本能的に備わっているので特別なスキルも必要ありません。

本能に従えば、どちらが強いかは直感的に分かるし、相手の方が強いと思えば黙って従う、あるいは、目立たないようおとなしく生きる、という選択もできます。

その2、自分の良さを見つけて生きる

周りではなく自分自身に注目した生き方です。

肩書きが無くなり周りから平気でバカにされるような扱いを受ければ、当然、自分の価値は下がります。
それでも、自己肯定感を保つために、自分が本来持っている価値を見つけて
「ただ、生きて存在するだけで価値がある」
という意識を強くしていく。

言うのは簡単ですが、実際にやるとめちゃくちゃ難しい!!
歳を取れば容姿も衰えますから、美しさとかカッコ良さなんて関係なくなりますし、雑談力とか秀でた専門性が無い場合は
「どうしたらいいの?」

何もなくても自分に価値があると思えるようになるって、
極端な話、この先、寝たきりになっても
「自分は存在するだけで価値がある」
と思えるってことですから。

そう考えると、これほど難しいことはない気がします。

パートで働いてからはずっと
その問題の答えを探しているのかもしれない

最近、そう思えるようになりました。

今までに直面しなかった問題に遭遇して初めて、
「自分は何が好きで、何がイヤで、何がしたいのか……」

そういう「自分」の気持ちにフォーカスせざるを得なくなり、心穏やかに生きるためには、過去のトラウマを清算しなければいけないのかもしれない、ということに気がつきました。

トラウマがあると、スルーできないことが多いんですよ……
背負ってきたもの、過去の経験、いろいろなものがここへ来て
「生きづらさ」
の原因になっています。

なので、それを一つずつ拾い上げて、ランタンに入れて空に手放していく必要があるのではないかと。

とにかく、たくさん飛ばす。
ありがとう、よく頑張ったねと感謝して……

そしたら夜中に布団の中で、
生きてるだけで幸せだな、という言葉が浮かんできました。
あまりにも唐突で、体の声のような気がしました。

noteでたくさん苦悩を書き綴った結果……

去年はずっと、自分の苦しみから気づいたことを色々と書き綴っていました。
誰かの励ましになればいいと思って書いたつもりでしたが、「苦しい、辛い」のオンパレード。

不幸の大安売りでも、煙のように漂っていたものが少しずつ形になっていたようです。

時には、
「すごい、発見!」
と思ったこともありました。

その一方で、それで本当に楽になるんだろうか……という不安も。

ただ、これだけは間違いないと思うことは周りの人は関係ないってことです。

自分に関わってくる人たちは自由な存在なので、その人のせいでどうにかなっているわけじゃなく、

あくまでも自分の問題

目の前の現実を変えたいなら、自分に向き合うしかないんですよね。
そして、変われるということ自体、自分もまた自由なんだってこと。

分かりにくいのでもう少し具体的に書いてみると……

******

自分の中に踏み込んでくる嫌な相手、その存在を消すわけにはいかない場合にどうするか。

まずは、お互いの境界線をはっきりさせます。
溝でも堀でもバリアでも良いので、相手との間に距離を作ります。

そして、何を言われても
「真面目に聞かない」
心の中で「バリア〜」と叫んでもいいし、心を飛ばしてもいいのでとにかく「聞かない」
この時に、手をつねってみるとか、足の裏の感覚に集中するとか。
隣で相槌を打ってる人がいても気にせず、ひたすら「自分には関係ない」と言い聞かせます。

それで相手が怒ったとしても、文句を言われて好かれなくても、それは相手の問題であって自分とは無関係なんですね。

それからどうするか。
今度は自分と向き合います。

どうしても頭に残る言葉、許せない態度がある場合は、その原因がどこにあるのかを探ります。不安になる原因、怒りを感じる原因を自分の中に探すんです。
そして、「ああ、過去にあんなことがあったからか」とか、
「昔、親にこんなことをされたせいだ」とか。
思い当たることが必ずあるはずなので、それを引っ張り出してちゃんと感じてしっかりと手放す。

そうすることで冷静になってから、再びどうすれば良いのかを考えます。

自分がこうした方がいいと思うことがあればやってみるし、できてないなと思えば改善する。

その結果、相手や周りは、
「態度が変わった」
と思うでしょうけど、それは、好かれたくて変わったわけじゃないんですよね。

相手の機嫌を取るために自分を変えたのではなく、自分の中の問題を解決したことによる変化。

でも結局は、
相手の態度を変える為には、
自分が変わらなきゃいけない、ってことでしょ?


そうなんです、そうなんですが、
動機が全く違います。

相手に攻撃されない、嫌われないために無理して演じるのではなく、自分が自由になる為に、苦しさを手放すことで自然に変わるんです。

そこにあるのは、自分を中心とする考え方。

まあ、実際にやってみるとかなり大変なことなんですが……

相手が何を言っても聞かない、っていうのもなかなかに難しいし。
やっぱり聞いていないのは相手にわかりますから……
怖いですよ、不安にもなります。

なので、いつも心の中で
「私は守られている」
と唱えながら、宇宙の中にいるイメージで相手の言葉を跳ね返しています。

最初は、
「みんな孤独なだけ、寂しいだけ」
と唱える方法も試したんですが、強烈なパワーに負けそうになるのでやめました。
不機嫌なネガティブ、恐るべしです。

大事なのは、聞かない、という状態でもガードを貫いて刺さってくるものに対してはちゃんと対処する、ということ。

まずはそのショックや不安、恐怖をしっかりと感じ取って、自分の中にある過去のトラウマを見つけていきます。見つけたらちゃんと心で感じて、外に手放す。

ひたすらこの繰り返し。

最初の数年間はこのやり方に気づかなくて、攻撃されたら攻撃で返していました。
諸葛孔明じゃないですが、策を練って戦ったこともあるし。防御するにしても、相手を出し抜くことを考えたり。

でも、そのうち、戦わない方がいいのだと理解して、負けることを受け入れたんですが、そしたら孤立してしまいました。
気がつけば、会話に入れず一人ぼっち。

それがものすごく寂しくて……
寂しすぎて仕事を辞めたほどです。
しばらくは仕事もなかったのでそのまま家に引きこもり。

そんな時にネットである考えに出会い、自分と繋がっていくことに意識を向けるようになりました。
そしたら不思議と寂しさを感じなくなって、むしろ守られている気がするようになったんです。

一人になった方が、気持ちがしっかりするじゃん。

不思議なことに、安心できる場所にいることを実感できるんですよ。
自分の体がバリアになってるというか、その中にいると気持ちが穏やかになるんです。

そして、また人と関わりつつ、不安や怒りの気持ちを感じながら自分と向き合うことを再開したわけですが、それでふと思いました。

人の言葉に動じないことが、自分軸をしっかり持つということなのかもしれない……

自分の価値が揺るがないようになるまで、
自分を非難し、不安にさせるしつこい思考を消していく。

まさにこの繰り返しなんじゃないかと、最近では、苦手な人と関わることが練習だと思えるようになりました。

ということで、今年の目標は、

来年までこの職場で働いて、無駄な思考に囚われた生き方から解放されること。

どうやら私は、自分のことを全く理解してくれない人達と関わることを望んでいるようなので、もしかすると、そこに求めている答えがあるのかもしれません。


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