現代社会とも通じる【平安時代の息苦しさ】
この記事では平安貴族を取り巻いていた思想を幅広い視点から眺めたいと思います。平安時代という時代を評価することは歴史家の間でも議論が分かれており、古代的な律令が崩壊する過程と捉えるか、律令という枠組みの中で時代の変化に柔軟に適応し次代である中世への準備の時代であると捉えるかでだいぶ開きがあります。ここではそうした政治史的な視点と距離をとって思想史的な現象にスポットライトを当てて平安時代の貴族層の思想を簡単に解説していこうと思います。本稿で詳説するように「タブー」によって硬直化する平安社会の様子は現代社会と重なる部分もあると思います。
1,九~十世紀の東アジア情勢
別稿で取り上げた菅原道真は寛平六(894)年に遣唐使の停止を建言して、過去10数回に渡って派遣されてきた公的な遣唐使が終焉を迎え、承和五(838)年の遣唐使派遣が最後の遣唐使となりました。遣隋使・遣唐使は先進的な文明国の隋・唐帝国から多大な学知や文物を摂取する組織でしたが、唐王朝も末期を迎えて衰退し、滅亡へと向かう内乱(黄巣の乱:こうそうのらん、875~884)が起きることになります。中国大陸での政治的変動は韓半島へも波及し、百済・新羅・高句麗の三韓を統一した統一新羅もそのあおりを受けて九世紀末に衰退し、十世紀の前半に沿海州の渤海とともに滅亡して高麗にとって代わられることになります。日本と統一新羅間の関係もそれまでは遣唐使の派遣にともなって使節が送られていたのですが、その使節も遣唐使の途絶と廃止によって停止されます。公式な外交が停止したことによって大陸の文化の影響が相対的に低下し、大陸文化模倣の時代思潮は終わりを迎え、そこでようやく日本文化が復権するのでした。
2,国風文化
別稿にて取り上げた漢詩の流行から和歌の復権がその顕著な例で、ほかにも書籍を例にとると、漢文を日本語化して読み下す訓読の技法が平安時代に洗練されて、漢訳仏典(インドの仏典を玄奘三蔵などが中国語訳したもの)を読みこなすための技法として漢字の一部を用いた片仮名が考案され、一・二点や返り点などの訓点が整備されました。また画数の多い万葉仮名が簡素化されて草書体から平仮名が考案され、日本固有の語を表記しやすくなりました。こうした中で『竹取物語』や『土佐日記』、『源氏物語』といった物語が作られるようになります。こうした物語は日本の固有文化に加えて中国文化の教養を前提知識として、日本人の感性で日本人の心に響くように表現しようとした試みの中で育まれていったのです。
3,平安時代の貴族社会と有職故実の成立
政治面では坂上田村麻呂などをはじめとする征夷大将軍たちによる陸奥への進出がおおむね完了し、エミシ集団の服属によって琉球と北海道・離島を除く多くの地域が統一されました。また、大陸半島での政治的変動に対して外交使節を停止することで日本は国際社会の場において沈黙する道を選びます。
これらの出来事によって内憂外患が取り除かれたため、貴族の間では緊張感が失われ、かつ、能力主義で出世するルートが、血筋で出世が決まる蔭位の制によっておおくの場面で閉ざされたこともあり、政治を主導する層の間では政治理念として儒教的徳治主義を強調する必要性が損なわれました。つまり、内外の緊張の弛緩によって「徳」による政治によって王権による支配の正統性を積極的に主張するする必要性がなくなったのです。またこのように硬直化した社会では行政面で努力しても影響が出にくくなったために過去の成功例=先例を踏襲することに重きが置かれ、貴族の間では宮廷における儀礼を作法のとおりにつつがなくこなすことが最重要視されました。こうした作法や儀礼の場などにおける装束のとりきめの体系を有職故実(ゆうそくこじつ)といいます。
4,具注暦と遺誡の思想
そこで参照されたのが貴族の日記でした。当時の貴族の日記は太陰暦の暦本(れきほん:今でいうカレンダーのようなもの)に漢文で書き加えられていました。これを具注歴(ぐちゅうれき)といいます。
暦本には日付に加えて中国の干支や、大陸・半島を経由してすくなくとも古墳時代には伝わっていたインドの天文暦学・占星術の宿曜道(すくようどう)の宿星(しゅくせい)によって貴族はその日の吉凶を確認していました。
こうした占星術に加えて貴族の行動を規定していたのは陰陽道(おんようどう)である。陰陽師(おんみょうじ)は宿曜道の専門家である宿曜師(すくようし)と並んで貴族の吉凶を占う役目を果たしました。具注暦には外出を控えて自宅で謹慎する物忌(ものいみ)の日程が書き加えられ、タブーと考えられた領域を避ける方違え(かたたがえ)が行われました。
これらのタブーに拘束されながらも先例を踏襲する貴族の風習を遺誡(ゆいかい)の思想と呼びます。遺誡の思想の本質は「事なかれ主義」であり、硬直化した貴族社会の消極性を端的に物語るものであるといえます。こうした貴族社会の様子は平安時代の王朝文学に表現されています。別稿では王朝文学に焦点を当てることにしたいと思います。
【参考文献】
・佐藤弘夫編『概説日本思想史』ミネルヴァ書房、2005年4月30日
・子安宣邦『日本思想史辞典』ぺりかん社、2001年6月1日
執筆者プロフィール:筆名は枯野屋(からのや)。某大学大学院文学研究科博士課程後期に在籍中。日本思想史を専攻。noteにてオンライン読書会の国文・日本思想史系研究会「枯野屋塾」を主催しています。( https://note.com/philology_japan )。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?