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地獄という概念(『日本霊異記』後篇)

この記事では古代の人々が考えた地獄の思想について考えます。「閻魔さま」という存在は私達が子供の頃に「うそをつくと閻魔さまに舌を抜かれる」と言った形でひろく親しまれ恐れられていますが、古代日本人にとっても閻魔大王は恐るべき存在でありかつ敬うべき存在でした。

日本霊異記については下記記事で説明しています。


1,日本人にとって地獄とは


本稿では、古代の他界(異界)としての地獄の思想に関する説話の記事を扱います。古代日本における異界とは、例えば神々が住まう超常の世界である常世(とこよ)と死者が赴く黄泉国(よもつくに)が代表的ですが、仏教思想の移入によりここに浄土と地獄が加わります。この記事では地獄に焦点を当てて考えていきます。地獄はもともとヒンドゥー教の八熱地獄(無間地獄)に由来していますが、中国に伝播する過程において道教的な冥界世界として閻魔大王が主催する世界として観念されました。日本においては、この『日本霊異記』では黄泉国との連続性が示されており、複雑な過程を経て日本人の地獄観は形成されているといえます。

2,黄泉国と地獄の機能


地獄も黄泉国と同じく死者が赴く世界ですが、黄泉国は現世の延長線上に位置する世界であり、生まれ変わる輪廻の思想は存在せず、救済もありません。黄泉国は暗くて不快な世界として観念されていました。黄泉国は古代においては地下ではなく水平方向に存在するものであると観念されており、ヨモツヘグヒと呼ばれる黄泉国の霊力を帯びた食物を摂ることさえしなければ、「よみがえり」という日本語に表されるように往還可能な世界でした。
一方の地獄は業によって別の生命体に生き返る輪廻の思想を前提としており、仮に地獄に落ちたとしても救済の手段がありました。それは死者が生前仏教を熱く信仰しており、閻羅王(閻魔大王=『日本霊異記』では地蔵菩薩と観念される)の許しがあれば現世に帰ることができたのです。
従って、地獄は仏教に帰依した者あるいは遺族によって供養された者については救済の機構として機能しており、まざまざと描かれる無間地獄の具体的な恐ろしさを描写することによって仏教への帰依を促していると考えられます。

3,『日本霊異記』における地獄の説話


ここで取り上げる説話は『日本霊異記』中巻第七話「智者の変化を誹り妬みて、現に閻羅の闕に至り、地獄の苦を受けし縁(知恵ある者が、変化の聖者の悪口を言い嫉妬したために現世で閻魔王宮に行き、地獄の苦を受けた話)」です。

僧の智光(ちこう)は河内国(現在の大阪府)の人で鋤田寺の僧侶でした。彼は生まれつき聡明で、盂蘭盆経(うらぼんぎょう)と大般若経(だいはんにゃぎょう)、般若心経(はんにゃしんぎょう)の注釈書を作るほどでした。
同じ時代に行基(ぎょうき)という僧侶がいらっしゃいました。行基は欲望を捨て去って多くの迷える人々を教化して仏教に帰依させました。
時の帝の聖武天皇は行基を尊敬して菩薩とお呼びになり、天平十六(744)年には行基を大僧正にお任じになりました。
すると智光法師は嫉妬して「自分の方が行基よりも優れている」と非難して口悪く言いました。すると智光法師は激しい下痢を起こしてひと月あまり病み臥せってしまい、弟子に向かって「わたしが死んでも九日間だけは荼毘(火葬)に付さないでおきなさい」と言いました。弟子はその言い付けを守っていました。
その時、閻羅王(閻魔大王)の使いが智光のもとにやってきて西に向かって連行していきました。そこは灼熱の地獄で、智光は使いの者に命じられて熱く熱せられた鉄の柱を抱かされました。すると智光に身体の肉は焼けただれ骨だけになってしまいました。使いの者がほうきで「活きよ活きよ」と言うと、恐ろしいことに智光の身体はもとのとおりに戻りました。
そうして元に戻った身体でまた灼熱の銅の柱を抱かされた、同じように骨だけになっては元通りに戻されました。次に智光は北に向かって連行されて智光は阿鼻地獄に連れていかれました。そこでも智光は殺されたり生き返らされたりして苦しみを受けました。次に智光は行基菩薩が未来に住む予定の黄金の宮に連れて行かれます。使いの者は智光に向かって「おまえが地獄に来たのは行基菩薩の悪口を言った罪を滅ぼすためである。黄泉国の食べ物を食べてはいけない。すぐに帰りなさい」と言いました。すると智光はよみがえって行基に嫉妬心を起こしたことを懺悔して行基のもとを訪ねて許しを乞いました。すると智光は行基に許されて、智光大徳として仏法を教え広めたのであった。智光大徳も死後は素晴らしい世界(浄土?)に行かれたそうです。

4,地獄の構造


このように、地獄は恐ろしい世界として描かれています。ただ罰せられるだけでなく、地獄は罪をあがなうための装置として説話ではたらいています。また興味深いことにここでは地獄は日本神話における黄泉国と接続されていることに気づかされます。このようにして古代の日本人は在来の枠組みの中で外来思想を受け入れたのです。こうした古代人の柔軟さは時として創造的ですらあります。古代人のたくましい換骨奪胎の精神は見習いたいものです。

日本霊異記の他の説話について知りたい方は下記記事をご覧下さい。


【参考文献】
・中田祝夫、日本古典文学全集『日本霊異記』小学館、昭和50年11月30日
・中村元、福永光司、田村芳朗、今野達『岩波仏教辞典』岩波書店、1989年12月5日

執筆者プロフィール:

筆名は枯野屋(からのや)。某大学大学院文学研究科博士課程後期に在籍中。日本思想史を専攻。noteにてオンライン読書会の国文・日本思想史系研究会「枯野屋塾」を主催しています。( https://note.com/philology_japan )。

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