前言撤回!もっともらしい理由を作って逃げるのをやめる
みなさん、こんにちは。
いきなり、タイトル気になりますよね。
何を前言撤回するかというと、昨年末に書いたこのnoteの内容に関して。
このnoteで2024年の活動指針をあれこれと述べたのですが、この中で『多摩美は1年次終了時点にて退学する』と宣言していましたが、すいません。
この前言をここで撤回します!
そして今回のnoteはこの前言を、なぜ撤回する考えに至ったかのプロセスを、流れを追いながら書いてみたいと思います。
大学院不合格→ビジネス?
先日、受験していた大学院の合否発表がありました。
蓋を開けてみたら、かなりの倍率(5倍超)で【不合格】となってしまいました。残念な気持ちになったと同時に、妙に清々しい気分になった。
『これで本当に自由だ!今からは何をやってもいいんだ。』
こんな感覚が自分の中に芽生えてきた。
では何にこの自由な時間と自分の命を使っていくか?
そう深く考えてみたら突然、自分の内側からブワッと『自分の使命』みたいなものが湧き出してきました。
<自分の使命>
自分の人生を諦めている人が、自分の人生を取り戻すプロセスを創造する
めちゃくちゃしっくりきたのと、なんで今までこれが言語化できなかったのか?
と思うくらいにスムーズにブワッと湧いて出てきた。
これまでもこの使命に基づいて、無意識に行動し、選択してきたと思います。
そしたらすぐに、元々ずっと考えていた『アート×ビジネス×アイデンティティ』という方向性のビジネスアイディアが具体的に浮かんできました。
『よし、これからは、このアイディアを具現化するプロセスにコミットしよう!』そう考えて動き出すことにしました。
そのプロセスには仲間が必要だったので、早速これまで培ってきた関係性の中で信頼のおける数名の友人にアイディアをシェアして「一緒にやらないか?」と声をかけていきました。
声をかけた人たちの反応は上々。よし!いける。
完全にこの流れに乗った感じだったので、多摩美を辞めることは既定路線で、次のステージに向かうことばかりに意識がいってました。
しかしながら、最後に声をかけた友人に時間をとってもらい直接会って、一通りビジネスアイディアのプレゼンをした後こんな一言を言われました。
『それって、しんたろーにしかできないことなの?』
ハッ!
とした。
そしてそこでようやく、自分の使命『自分の人生を諦めている人が、自分の人生を取り戻すプロセスを創造する』から自身が諦めて、逃げていることに気がついたのです。
居心地の悪い環境で絵を描くことを諦めない
前回のnoteでは多摩美を辞める理由を明確には書いてませんでしたが、なんでそう思ったのか本音の理由を以下書き出します。
①異質な存在として見られることは、すこぶる居心地が悪かった
当たり前ですが、38歳で美大に入ったので当然ながら周りにいる同級生や助手さんはみんな年下。彼らの保護者の方がむしろ歳が近い。アーティストとして第一線で活躍している非常勤講師でちょうど同い年前後くらい。
いくら、自分がフレンドリーに対等な目線で話しかけても、遠慮されたり、妙によそよそしかったり。
心の底ではとても寂しかったし、悲しかった。
もちろんそんな人たちばかりではなく、同じ目線で話してくれる『友人』と呼べる人も数は少ないけれども出来た。それはとても心強かったし、嬉しかった。
大学院受験をしようと志した本音の理由の一番は、大学院だと年齢層もグンと上がり、社会人から入ってくる人も多いので、この居心地の悪さから解放されると思ったからだと思う。(国立で学費が安い、勉強の内容自体に興味があるというのも選択の理由だったけれども。)
②美大という組織は自由でありつつも、お高く、息苦しい
16年前に既に大学を卒業し、社会人経験をしているので、多摩美を卒業して学位を取得することには正直なんの魅力も感じてない。自分はアートを学びにきているだけであって、得られるものがなくなればさっさと辞めてもいい。心の底ではそう思っていた。
おまけに学費が高い。医学部、歯学部に次いで三番目くらいに高いんじゃないかな。
昨年9月から、たまたまのご縁で、自宅の近所にアトリエを賃借することになり、自宅から離れた多摩美という場所でなくても制作活動ができるようになった。
あれこれ美大のルールに縛られて、隣の人と制作スペースを融通し合う環境で絵を描くより、自宅から近いところで自由にのびのびできるようになると、ますます美大という場所が息苦しく感じられるようになった。
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本音をぶっちゃけると、上記のように感じていました。
『多額の学費を払って、わざわざ息苦しい環境にいることはない!』と判断し、大学院やビジネスみたいなもっともらしく、社会に受け入れてもらいやすい理由づけをして次の道に進むふりして逃げ出そうとしていたんだと思います。
けれども、この居心地の悪い環境こそ、もしかすると自分が自分の人生を取り戻し、創造するために必要なプロセスなのだとしたら…!?
そう考え直すと、美大に対しての見方が変わってきました。
そうか今の自分は、他者から異質な存在として見られることから『逃げる』以外の選択肢で、立ち向かう必要があるんだな。
そう自覚すると、価値観・年齢の違う人たちがひしめき合っているアーティストだらけの居心地の悪い環境で、周りから良い意味でも悪い意味でも刺激を受けながら絵画制作をしていくというプロセスに、逃げる以外の答えが見つかるような気がしてきた。
巧みに逃げるOSが形成された背景
恐らくこの、居心地悪い環境からもっともらしい理由を作って逃げるという原体験は12歳ごろに遡る。
転校した先の引退間近の担任から些細なことで思いっきり頬をビンタされたり、少年野球の監督からチームを辞める時に「女の腐ったような奴」と罵られ、周りの大人たちからありのままの自分を否定されて悲しかった記憶。
そこから最もらしい理由をつけて、逃げるという生存戦略が生み出された。
勉強をして、良い大学に入り、良い会社に入って優等生で在り続ける。
それは自分にとっては、ある意味逃げの戦略だった。
一見チャレンジしているように見えるから、みんなが味方してくれて、応援してくれるから、正々堂々と逃げられる。
だから本当の自分を隠して、社会に受け入れられやすい鎧を纏って、長年生きてきた。自分自身がGayというセクシャリティを長い間オープンにできずに苦しんでいたのも、きっとこの自分自身の生存戦略が生み出した副産物だったのかも。
お陰様で、色々あって既に社会的な鎧は身につけなくなったけど、今回改めて居心地の悪い環境から巧みに逃げるという子供の頃に形成されたOS ※ が浮き彫りになった。
このOSに今、気付けたことはとても大きい発見だと思う。
※OS :(Operating System):無意識に自分の行動や判断を司るメカニズム
最後に
だから改めて前言撤回をし、多摩美の2年生に進級をすることとします!
そして、逃げる以外の選択で居心地の悪い環境で、自分らしく自分の人生と共に、絵画を制作していこうと思う。きっとこのプロセスが、今は見えていない隠し扉みたいなものに近い将来気が付くことができて、その扉を潜り抜けた先に自分の描きたかった未来があるような気がしてならない。
だからもう少し頑張ってみようと思います!
思いついたビジネスも、やっていきたい気持ちは嘘ではないけど、多摩美で頑張りきった後でも遅くはないかなーって考えるに至りました。
最後に、
私、来月に個展を開催します。
タイトルを『しんちゃんといっしょに』と名付けました。
『しんちゃん』と呼ばれていた頃の自分は、もっともらしい理由をつけて逃げるという生存戦略を覚える前の自分自身です。
その時の感覚に今とことん向き合うことが、きっとこれからの【村田晋太郎】という人間の人生をより鮮やかに彩っていく鍵となっていくことになると、確信しています。
個展まで、ちょうど後1ヶ月。
これから個展までに、130号のキャンバスに今の自分の気持ちや感覚を思いっきり表現していきます。正直どんな絵になるかは全く分かりませんが、きっと面白い絵になるような気がします。
ぜひ、来月しんちゃんに会いにきてくださいね!
お待ちしてまーす♪😙
おわり
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