火曜日のルリコ(11)

「じゃ、待ってる間、友達に電話させてもらうわ」

 優子はバッグの口を開けて、携帯を取り出した。

「あ、ルリコ、そう、優子よ。今お店なの。お目当ての店長はまだだわ。でも、すぐに来てくれるわ。え、大丈夫よ。そんなことないわ・・・」

 優子は、わざと嬉しそうな素振りで話した。もちろん、内心はかなり緊張し、心臓が高鳴っていた。でも、悟られたら負けだ。

 すぐに、店の奥から、あの顔がやってきた。

 実物を見ると、やはりスラリと背が高く、写真よりずっとイケメンに見えた。そう見えるのは、強いオーラのせいかもしれない。

 薄いベージュのスーツは、薄暗い店内で幽霊のように浮き上がって見えた。胸ポケットに差しているのはポケットチーフではなく、赤い大輪のバラだった。

 演出の仕方もよく心得ている。でも、やっぱり何か、禍々しい雰囲気もまとっている。

「そう、そうなの。あ、今店長が来たわ」

 優子は、口を開いたままのケリーバッグに、スマホを放り込んだ。

 松村は、優子のテーブルに近づくなり、いきなり胸の赤いバラを引き抜いて優子に差し出した。

「ユーコさん、このたびは、ドンペリありがとうございます。美しさではあなたには及びませんが、このバラは僕の気持ちです」

 端正な顔にはにこやかな笑みをたたえていたが、鋭い目は笑っていなかった。その不思議な目の輝きで見つめられると、それだけで頭がくらくらしそうになった。

 負けられない。私だって、霊感少女と言われていたのよ。

「あら、ありがとう。素敵なお花ね」

 優子は、バラの枝を指先でつまみ、そっと花の匂いをかぐふりをしてから、できるだけ抑揚のない声を作ってこう返した。

「スードンなんて、大したことないわ。でも、この店だと、一本おいくらなのかしら」

 松村は、少し顔を右に向け、両目を閉じると、そのままふっと軽いため息を吐いて、言った。

「おや、お美しいお嬢さんなのに、ずいぶん下世話なお話ですね。でも、あなたの質問には答えないわけにはいきませんね、ユーコさん」

 思い切りクサイセリフも、少女漫画のような顔が甘い声でささやくと、妙に決まって聞こえる。

 やはり、一筋縄ではいかない相手らしい。

 松村は、口許の笑みを少し大きくして、再び優子を見つめた。

「当店は、お客様にできるだけ気楽に楽しんでいただけるよう、ドリンク料金はどれも他店より安めに設定しております。ドン・ペリニョンのゴールドが、たった五十万円なんですよ」

「あら、お安いわね」

 私の店より安い。

 反射的に応答しながら、うっかりそう思った。自分に対する嫌悪が募った。

「おかげで、お店の経営は火の車なんですけど、それでも、少しでもお客さんに喜んでいただければと、俺らみんながんばってます」

 松村にしては、わかりやすい嘘だ。

 その間も松村は、満面の笑顔で優子の目を見据えていた。その表情に優子は、ディズニーのアニメによく登場するような、獲物を前にしてほくそ笑んでいるオオカミのイラストを思い出した。

「じつは、あなたに少しお話があるの」

「なんでございましょう。お姫様」

「まずは、一緒に一杯やりましょう。おごらせていただくわよ」

「ごめんなさい、俺、アルコールはやらないんだ」

「まあ、この商売にしては珍しいわね。何かの願掛けかしら」

「そんなもんですよ」

「じゃ、本題に入るわ」

 この間も松村は、ずっと笑顔を絶やさなかった。

「キール大統領の話、と言ったら、いかがかしら」

「は、キ・・・」

 作り笑いが、一瞬凍りついた。

 表面的には、松村の表情になんら変わったところはない。顔面の造形それ自体には、一切動きはないのだが、松村の内面で何かが動いたらしい。顔中の筋肉が硬直して、妖魔の笑みとなった。

 それは、悲しみを見せていた能面が。次の瞬間怒りの表情に豹変する様にも似ていたが、このわずかな変化も、すぐに消えた。

「キール大統領、ですか。確か、アメリカのお偉いさんですよね。近々日本に来るらしいけど、俺らには関係ない話ですよ。でもお嬢さんなんかは、アメリカ留学の経験とかおありなんでしょうね。よかったら、そのときのお話とか聞きたいな」

 松村が妙に饒舌になったことを、優子は、自分の仮説の補強材料と判断した。

 話をはぐらかされてはいけない。

「私、わかっちゃったの」

 松村の笑顔のレベルが、一ランク下がった。松村は隣を向いて、少し鋭い口調で部下たちに言った。

「すまない、この人と二人きりで話したいんだ」

 ホストたちは、店長の言葉だからか、それとも何かの気配を察したのか、顔面に笑みを残したまま、暗い店内に散って行った。

「どうぞおかけくださいな。松村さん」

「店では、アリーなんですけどね」

 苦笑いになりながらも、男は優子の向かいに座った。

「あら偶然ね、うちの犬もアリーよ」

 一瞬間を置いてから、松村が返した。

「あなたの飼い犬なら、僕もなりたいな」

 さすがに先ほどの新米とは違う。

 手強いわね。それなら、下手な小細工はなしにしよう。

「それじゃ、単刀直入に言わせてもらうわ。あなた、キール大統領が日本に来たとき、殺そうとしてるわね。復讐のつもりね」

 ついに、松村が真顔になった。彼の沈黙は、優子にとってイエスのサインだった。

 ここぞと優子はたたみかけた。

「私、全部知ってるのよ」

「全部って・・、何を。話が読めないな」

 しらばくれながらも、松村の視線は、優子に釘付けだった。 

「悪あがきはよして。しらばくれるんなら、言ってあげようか」

 松村の目力が上がった。優子は、圧倒されそうになった。

 ここでひるんではいけない。この私が日本を守るのよ。だって、私しかいないんだから・・・・。

「その目ね。あなた、その視線で人を操るんでしょ。でも、私には効かないわよ」

 奥のほうから、女たちの笑い声が流れてくる。ホストたちが、何かご機嫌をとっているようだ。

「ここは、みんなが楽しく過ごす場所ですよ。こんなところで、いったい何を言ってるんです」

「今後の人生を楽しく過ごせるかどうかは、あなた次第よ」

「俺が、どうしたらいいんでしょう」

「復讐なんて、やめて」

「やめる?復讐?」

 松村は、硬い笑い声を上げた。

「復讐って、いったい何のことです。僕はこれまで、ずっと真面目に生きてきたんですよ。両親を同時に失って、一人ぼっちで生きてきて、やっと店を持てるまでになったんですよ。復讐しようなんて相手、誰もいませんよ」

「でも、あなた、キール大統領を恨んでるでしょ」

「恨んでる?僕が、アメリカの大統領を。なぜそう思うんですか」

「親を、殺したからよ」

 松村の表情が、凍りついた。

 営業用のホストの作り笑いは、完全に消えてしまい、そこには端正なだけに、凶暴さの目立つ険しい顔があった。まるで、永井豪のデビルマンだ。

「でも、一介のホストである俺が、どうやってアメリカ大統領を殺せるっていうんです。今や東京中に警官が溢れて、厳重な警戒網を敷いてるじゃないですか。僕なんか、どうやったって大統領には近づけないですよ」

「でも、近づける人がいるわ。火野総理夫人よ。彼女もあなたの客よね。もしかして、今日も来てるんじゃないの。だって、明日からスケジュール詰まってるもんね。ユッキーナもあなたの犠牲者になるんだわ。大田原や池田みたいに」

「お前、どこまで知ってるんだ」

 声がかすれていた。ついに本音が出たようだ。

「言ったでしょ。全部知ってるわ。あなたの不思議な力もね」

「それなら、話が早い」

「これも言ったはずよ。あなたの力は、私には効かないわ。ほら、こうやってずっと目を見てるけど、私は操られてなんかいないわ」

 強がってはみたものの、松村の不思議な目力には、優子も押しつぶされそうな気になっていた。あらためて気合を入れなおそうとした。

 しかし、松村は、小さな笑みを浮かべて言った。余裕の表情にも見えた。

「君、何か勘違いしてるようだね」

「勘違い?あなたがキール大統領を殺そうとしているってのが、私の勘違い?」

「いや、そうじゃない。いいか、これから俺が言うことをよく聞くんだ。いいね・・・」

 

「店長、お願いします」

 店の奥から、自分を呼ぶ声がする。

 松村はつと立ち上がった。四番テーブルには、優子だけが残った。

「じゃ、いいね。俺の言ったとおりにするんだ」

 松村が店の奥に消えると、優子は立ち上がり、のろのろとレジカウンターに向かった。

 

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