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#26 自問自答「自分には他に為すべき大切なことがあるのではないか?」
時々「自分はここに居ていいのだろうか?」と考える。
「自分には何かこう、他にやるべきことがあるのではないか?」
「こんなちっぽけなことに、何か意味があるのだろうか?」
こうした疑問を持つのは、私にとっては日常茶飯事だ。
常々、今の選択を疑っているし、前提として完全に納得する日は死ぬまで訪れないとも思う。
もちろん、こんな思考を、無駄に感じる人もいるだろう。
確かに、そんな正解のない問いを持つことは、平和ボケした人間の贅沢かもしれない。
しかし実際に私たちは、裕福な時代に生まれている。
戦争もなく、飢える心配もない今の日本において、より贅沢な悩みを抱えるのは自然なことだ。
自然に思うことがあるならば、それについて真剣に考えるのも悪くはない。
自分には他にやるべきことがあるのではないか?
目の前の生活や仕事のどこかに満足していない時、私たちは何かしらの疑問を持つ。
他にすべきことがあるのではないか?
自分の使命はなんだろう?
なんて考えるのは、その最たる例だと思う。
そう、私は現状に満足していない。
会社員という立場で裁量が限られている点や、新たなチャレンジに幾つもの許可を必要とすること、組織が向かう方向性や社会的存在意義が曖昧な点など、挙げればキリがない。
一方で、満足している部分もある。
規則正しい生活が送れる点や、健康で文化的な最低限度の生活を営むことのできる点、生活が保証されている点、組織というコミュニティに所属する安心感、などだ。
こうしてみると、満足できない点と、満足している点は、一見逆の性質を持っているように思える。
そして本当に逆なのであれば、両方を満たすことはそもそも難しい。
しかしながら、私は両方を満たす答えを創ることが不可能には思えない。
豊かに、自分の価値を生きる選択
経済的な安定、豊かさを得ながら、自分の裁量で納得のいく仕事をすることは、この時代決して無理なことではないと思う。
楽な選択ではないだろうし、むしろ自分の能力を、今以上に活用しないといけないだろう。
しかし、それはきっと充実した日々に違いない。
私が求めるのは、そうした日々を過ごす自分の姿である。
どこかで自分を曲げたり、偽ったり、演じてしまうと、その後ほころびが出てくる。
もう一度、自分の価値観を洗い出してみよう。
どれぐらいの収入が欲しくて、どういった在り方で過ごしていきたいか。
収入で言えば、ものすごく大金持ちになりたいわけではないが、それでも年収700,800万〜1000万くらいあったらもう少し豊かに暮らせて良い。妻が今後子育て等で働けない時期にあっても、十分な額だ。
在り方、スタイルで言えば、あまり畏まらず、縮こまらず、遠慮せず、楽しく笑いながら、コミュニケーションを取るような仕事がしたい。自分で企画したことを、相手に価値を感じてもらいながら、貢献できるならば良い。
とりあえず、大枠としてはそんなところ。
こうしてみると、いくらでもやりようのある、わりと現実的な要望だ。
今の場所から、まずはここを目指してやっていこうか。
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