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ビジョナリーカンパニー②飛躍の法則 2章 第五水準のリーダーシップ

第2章 第五水準のリーダーシップ

予想していなかった点

 われわれは当初、リーダーシップやそれに近いものを探していたわけではない。それどころか調査チームには経営者の役割を重視しないようにと強く指示していた。すべてを指導者の功績とか責任で割り切ろうとする見方が一般的になっているのでそのような単純すぎる見方を避けたいと考えたからである。調査の早い段階で「経営者を無視しよう」と主張し続けていた。
 しかし、調査チームからは繰り返し反論が出されていた。「偉大な企業の経営者にはめったにない特徴が一貫してある。それを無視するわけにはいかない。」「しかし、比較対象企業にも指導者がいるし、中には偉大な指導者もいる。いったいどこに違いがあるのだ」このような議論が沸騰したが、データによって決着した。良い企業を偉大な企業に飛躍させた経営者は全員、同じ性格をもっていた。

謙虚さ+不屈の精神=第五水準

 謙虚だが意志が強く、控えめだが大胆だ。第五水準の指導者は二面性の典型例である。アメリカ大統領アブラハム・リンカーンは永続する偉大な国家を作り上げることが第一の野心であり、私利私欲にはしることはなかった。
 ジレットのCEOであるコールマン・モックラーはジレットが偉大な企業になる道を残すために敵対的買収に立ち向かった。委任状争奪戦には経営幹部が何万人もの個人投資家に一人ずつ電話をかけて説得し、勝利をおさめた。穏やかな人柄だが、内面は極めて厳しく、どんなことでも自分が関与する以上は最高のものにするために全力を尽くす姿勢をとった。

おどろくほどの謙虚さ

 「大物ぶっていると受け取られては困る」「取締役会があれほど偉大な後継者を選んでいなければ、今日ここでインタビューを受けてはいない」「われわれは素晴らしい人たちに恵まれたのだ」「わたし以上の仕事ができる人はたくさんいる」。比較対象企業の経営者が極端なまでに「わたし」中心のスタイルをとっているのに対して、偉大な企業への飛躍をもたらした指導者が自分について語ろうとしないことに驚かされた。
 鉄鋼会社のニューコアのCEO、ケン・アイバーソンについては、「きわめて謙虚で控えめな人物だ。ここまでの成功をおさめて、ここまで謙虚な人間には会ったことがない。生活面でもとにかく質素だ。犬を飼うときは地元の野犬収容所からもらってくる。ある日、車の窓についた氷を取ろうとしてクレジットカードを使ったら割れてしまった。」とこぼしていた。「だったら、簡単な方法がある。金をかけてガレージをつくればいい」と言ったら「そんな大きな問題じゃないんだ」と言う。それほど控えめで質素なのだ。

不屈の精神 ~なすべきことを実行する

 「第五水準の指導者と呼んだらどうだろう。『無私』とか『奉仕』の言葉を使ったら全く誤った印象を与えかねない。」
 ウォルグリーンズのウォルグリーンは経営計画委員会の会議で「よし、ここで期限を決めよう。外食産業から5年間で完全に撤退しよう」と言った。その時、500店をこえるレストランがあった。ピンが落ちた音も聞こえそうだった。6か月たって、次の会議で誰かが何かの折に「外食事業からの撤退まで5年しかない」と言った。ウォルグリーンズは机をトントンと叩いてこう言った。「よく聞いてほしい。残りの時間は4年半だ。6か月前に5年と言った、今なら4年半だ」。翌日からは外食事業からの撤退が本当に進んだ。彼は動揺することなく、疑うことなく、振り返ることもしなかった。

窓と鏡の思考様式

 第五水準の指導者は成功をおさめた時は窓の外を見て、成功をもたらした要因を見つけ出す。結果が悪かったときは鏡を見て、自分に責任があると考える。比較対象企業の経営者は、結果が悪かったときは窓の外を見て、誰かに何かに責任を押し付けるが、成功をおさめた時は鏡の前に立って自分の成功だと胸を張る。
 家電量販チェーンのサーキット・シティを築いた経営者アラン・ウルツェルはインタビューに対して「第一の要因は幸運だった。素晴らしい産業で事業を展開していたので、追い風を受けていた。」と答え、後になって偉大な実績の持続をもたらしいている要因を聞かれたると、「まず頭に浮かぶのは幸運だ。適任の後継者を選べたのは幸運だった。」と変わらなかった。
 フィリップ・モリスのCEOカルマンは「わたしは人生の出発点から大きな幸運に恵まれてきた。最高の両親のもとに生まれ、遺伝子に恵まれ、恋愛で幸運に恵まれ、仕事で幸運に恵まれ、海軍では沈没した艦艇への乗船を逃れ、85歳まで生きられる幸運に恵まれた」と社内用の書籍「わたしは幸運に恵まれた」と記した。
 一方で、比較対象企業の経営者は逆のパターンになっている。失敗の原因として「運の悪さ」を挙げ、事業環境が悪すぎたと嘆いた。
 第五水準の経営者は「見てくれ、この素晴らしい人たちと幸運がなければ何も達成できなかった。わたしは幸運に恵まれている」と語り、窓の外からの称賛の声に耳を傾けようとは決してしない。

第五水準のリーダーシップは取得できるのか?

「学習によって第五水準の指導者になることは可能ですか?」

 世の中には二種類の人間がいると考える。第一の種類の人たちは常に仕事で得られる名声や財産や追従や権力などに関心を持っており、仕事によって築き上げるもの、創造するもの、寄与できるものには関心を持たない。第二の種類の人たちは人数がはるかに多いと推測する。第五水準になりうる人たちである。たぶん埋もれているか、無視されているのだろうが、その能力は確かにある。そして、自分を見つめる機会、意識的な努力、指導者、偉大な教師、愛情豊かな両親、世界観が変わるような体験、第五水準の上司などの条件があると本来の能力が開花するようになる。
 皮肉なもので、権力のある地位まで上り詰める際に原動力になる個人的な野心は、第五水準のリーダーシップに必要な謙虚さと矛盾している。そのうえ、取締役会には押しが強い並外れた人物を選ばなければ偉大な組織を築くことができないとの誤った信念がある場合が多い点を考えれば、第五水準の指導者に率いられた組織がめったにない理由も簡単に理解できる。

目指す価値

 偉大な企業への飛躍をもたらすブラック・ボックスの内部を調べた結果、第五水準のリーダーシップがカギになることが分かった。だが、ブラック・ボックスのなかにはもうひとつブラック・ボックスがあった。個人が第五水準に到達する仕組みがそれである。この中に何があるのか推測はできるが、推測の域を出ない。
 この章は第五水準の指導者がどういうものか論じている。残りの章では、第五水準の指導者が「何をしているか」を論じる。第五水準になりうる素質を持つ人がどれだけの割合でいるのか、何人が素質を伸ばせるのか、確かなことは分からない。
 第五水準まで達するかどうかは別にして、それを目指して努力する価値はある。人間にとって最高のものについての基本的な真理がいずれもそうであるように、真理の一端を垣間見ることができたとき、その方向に向かって努力すれば、自分自身の人生も自分が関係するものも良くなっていくのだから。

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