期待や願望は現場・現実を見えなくする

阪神淡路大震災の時、私が出入りするようになった東灘区の避難所では、当初、初期のボランティアは3人しかいなかった。1500人の被災者が寝泊まりする場所で。
他方、テレビでは連日ステーキとかが振る舞われ、なんなら焚き火を囲んでギターを弾いてるボランティアたちの姿が映っていた。

「ボランティア?どこにおんねんそんなの!」「ステーキ?食ってみたいわそんなもん!」1日に配給されていた弁当は、おにぎり二個、小さな牛乳パック一個、菓子パン一個。以上。それでも配給されるだけマシになった方。ステーキや焼きそば振る舞うなんて、そんな夢みたいな話はここにはなかった。

当時、NHKは深夜に被災地での行政対応がテロップで流れていた。それによると、神戸市で配られているお弁当は確か740円と表示されていた。このため被災地を知らない人は「結構いい弁当食べてるなあ」という感想をもつ人が多かった。けれど実態は、おにぎり二個、牛乳パック、菓子パンのみ。

神戸市がお弁当の配給を止めると発表した。私たちはたまげた。しょぼいとは言え、おにぎり二個、菓子パンはありがたかった。もちろん全然足りないから、ボランティアが手分けして救援物資をかき集め、不足分を補っていた。しかし弁当の配給が止まったら、もはやボランティアだけでは食べさせられない。

当時はまだどこも店舗が機能せず、買い物もできやしない。そもそも電気は避難所でも、かろうじて電球一個をつけてもらえただけで、電子レンジなんかとても動かせない。水道も復旧していない。ガスなんて夢また夢。そんな状況で、弁当の配給が止まったら大変なことになる。

どうも、神戸市も、被災者がそれなりの弁当を食べてると思い込んでたフシがある。もしかしたら屋台の兄ちゃんらがステーキだ焼きそばだを振る舞ってる映像を真に受けていたのかもしれない。しかし東灘区にはボランティアはおらず、弁当はおにぎり二個と菓子パンだけ。なんじゃこのズレ?

しかも。物資集積所である東灘区役所に行くと、服以外の救援物資がまるでない。使い捨てカイロが数枚と、ペットボトル数本。「うちだけで1500人だよ、こんなので足りるわけないやんか」と役場の人に言ったら、「救援物資がパタリとこなくなったんだ、もうこれで全部」と言われた。

実はこの前、神戸市は、溢れかえる救援物資の山をさばきかねて、「救援物資を送らないで下さい」と発表してしまった。しかもテレビで連日のように芸能人からの寄付とかでステーキが振る舞われてる映像を見て、全国の人たちが「被災地はもう贅沢な食事をしてる」と勘違いした。

しかし実は、ステーキなどを振る舞われ、大量のボランティアであふれかえっていたのは、被災地の「両端」だった。西宮市と長田区。この両端は、東から西からボランティアと物資が押し寄せ、避難所によってはお祭りになっていた。マスコミも電気がきて報道体制を組みやすいのか、そこに常駐して盛んに報道していた。

しかしその間に挟まれていた地域は。ボランティアも来ない、物資も来ない、マスコミも取材に来ない。空白地帯になっていた。かろうじて、貧弱ながらも毎日配られる弁当と、常駐ボランティア三人と被災者ボランティア、そして外部のボランティアが必死にかき集めた救援物資でなんとかつないでいた。

けれど、弁当の配給が止まる?しかも救援物資が来ない?これでは避難所にいる被災者たちが飢えてしまう!水道も復旧してないから、ペットボトルが水分補給の要なのに、それも手に入らない。いくら何でも1500人分の食料と飲料を私たちボランティアだけでかき集めるのはムリ。

翌日、手分けして状況を把握することにした。神戸市の救援物資が一手に集まる摩耶倉庫にバイクを走らせる者、区役所にもう一度交渉に行く者、ボランティアセンターにボランティア派遣を依頼する者。私はボランティアセンターに行くことに。

ボランティアセンターに行っても、「いない」と言われた。東灘区には170箇所の避難所ができ、ある老人ホームの避難所はボランティア一人がたまたま発見、徒歩で瓦礫を踏み越えて被災者のお弁当を一人で毎日運んでる状態。けれどそこも増員できず。「おたくは複数いるだけマシ」と言われた。

摩耶倉庫から戻ってきた人間から、最悪の報告。「服と毛布しかない。食べ物と飲み物が全然ない」。私たちは青くなった。弁当の配給が止まる、救援物資は(被災地の両端を除き)どこにもない、手分けしようにもボランティアも来ない。どうすりゃいいんだ?

動けるボランティアで、手分けして実態を世に広く訴えよう。
元気村に滞在するテレビ局に実態を話し、報道を頼んだ。記者はびっくりしていた。「まさかそんなことになってるなんて」感動エピソードばかり発掘しようとしていて、被災地で今何が起きようとしてるのか、把握していなかった。

テレビ局に電話しまくり、「食料も水もない!水道も全く復旧できていない!弁当の配給も止まってしまう!被災者が飢えと渇きで大変なことになるぞ!」
私の父は大阪市庁と府庁の前でがなった。「1日におにぎり二個と菓子パン一個やぞ!救援物資に食料と水がない!弁当配給止めたらえらいことや!」

翌日、各放送局から、西宮市と長田区に挟まれた「空白地帯」(ボランティアも救援物資も届かない場所)の実態が報道されるようになった。「いや、金額だけ私たちは知らされていたんですが、まさか1日のお弁当がこんなに粗末なものだったとは・・・」司会者も絶句していた。

この報道を受けて、大量のボランティアたちが「空白地帯」に押し寄せた。それまで、西宮市と長田区の両端でせき止められ、その内側にはボランティアが来なかったが、がれきを踏み越え、人の足りない避難所を探して入り込むようになった。私たちの避難所にもボランティアが多数常駐するように。

ボランティアたちは手ぶらではなかった。たくさんの食料や飲料を持ってきてくれた。私が助けを求めた京大生協も、大量の食品や飲料を届けてくれた。あるボランティアは、女性の生理用品が足りないと聞いて、背中にお腹に両手に、大量の荷物を抱えて、徒歩でがれきを踏み越えて来てくれた。

配給のお弁当もグレードアップした。毎日日替わりで、トンカツとか、ボリュームのあるものに変わった。救援物資も再び食品と飲料が大量に来たことで、危機を脱することができた。

貧弱とはいえ弁当の配給が止まるという話が来ていたところに、救援物資に食料と飲料が「空白地帯」から消えているという実態を把握したのは、私たちの避難所のボランティアが最初だったと思う。水道・ガス・電気のインフラも復旧せず、店舗もなく、「空白地帯」では食料と飲料の確保は困難だった。

まさに、ぎりぎりのタイミングだったと思う。私たちが気づいてなければ、「空白地帯」では、二、三日、被災者に食料も水もない状態が現れ、かなり危機的な状況になっていた恐れがあった。
なぜ行政やマスコミはこの状況に気づかなかったのか?「現場」を見ようとしていなかったからだと思う。

行政マンには、避難所から出勤してる人も大勢いた。しかし朝出て夜帰るだけ。日中、避難所でどんな食事をしてるのか、役所に実態を知らせる人がいなかったのだろう。ビックリするけど。たくさんの役人が避難所にいたから、少々信じがたいけど。

マスコミは、東京などから「感動エピソードを発掘せよ」と指令を出され、記者は要望通りのネタを探すことで頭がいっぱいになっていて、現場で何が起きてるのかなんて、現場にいる記者も東京にいる人間も、さして興味がなかったみたい。もう震災から二週間経ったんだもの、という油断があった様子。

私たちは、少ないボランティアで、わずかな配給弁当では足りない食料と飲料を必死になってかき集めていたので、把握が早かったのだろう。これは恐らく、他の避難所ても感づいている人がいたと思うが、摩耶倉庫などに調査に出かけるまでしたところはなかったようだ。

この経験から、まずは現場で何が起きてるのかを把握することこそ肝要、と考えるようになった。当時、行政もマスコミも、「こうあってほしい」という自らの願望、思惑が先にあって、そのために現実が見えず、見ることも怠る傾向が非常に強かった。私は当時、カンカンになって怒っていた。

私が既存のリーダー論、子育て論にあまりとらわれず、実際に部下に働いてもらうにはどうしたらよいのか、子どもが学ぶことを遊ぶがごとく楽しむにはどうしたらよいか、常に「現場」を観察し、そこから思考を組み上げるクセがついたのも、阪神淡路大震災がきっかけだと言える。

私たちは「こうであってほしい」という期待、願望を事前に抱くことが多い。しかしそのためにフィルターがかかり、現実が見えなくなり、期待や願望と一致する都合のよい情報だけを拾う現象が起きやすい。しかしそれだと、大切な人の苦しみ、あるいはこれからの苦難を察知できなくなる。

「きっと現場はこうなんだよね、そうだと言ってくれ」という願望・期待をする人がいると、その願望につい応えようとしてしまう人が出る。いわゆる忖度。その結果、目の前で起きている現実なのに、見えないということが起きる。記者は避難所を取材していたはずなのに、弁当の貧相に気づかなかった。

東日本大震災を経て、さすがにマスコミも、現場で何が起きてるのかを取材しよう、事前にこういうことが起きてるのでは、などと勝手な期待を持たずに、ありのままを取材し、知らせよう、という報道機関も増えてきた。全部じゃないけど、「ある」ということが大切。

現場を、現実を見よう。期待や願望を現場に投影しようとするのはやめよう。それでは文化大革命でたくさんの人が餓死したのにそれを毛沢東に伝えられなかったのと同じになる。そしてこの現象は、社会主義の国だけでなく、日本のような国でも起きる。現場を、現実を見ようとしない限り。

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