長文でも読んでもらえるコツ(?)
みなさんご存知の通り、これまでバズってきた私の文章、長文がほとんど。みなさんよく読んでくださるなあ、というのが正直なところ。私はツイッターでは長文を読まない。だから、長文書いてる私が言うのもなんだけど、みなさんの忍耐力に驚かされる思い。なぜ長文なのに読んでもらえるのだろうか?
実は、私は文章をできるだけ短くしようとしている。ここで「ウソつけ!」と総ツッコミくるだろうけど、ホンマ。つぶやきは140字しか入らない。で、私は1つぶやきに1つの「気づき」をこめることにしている。となると、結構圧縮しないと1つぶやきに収まらない。実はかなり短文目指してる。
では「なんでそれで長くなるねん!」だけど、一つの気づきを得ると、次の疑問、問いが生まれ、気づきが得られる。それを次のつぶやきで言語化を試みる。それも「1つぶやき1気づき」でまとめようとするので、かなり圧縮して書くことになる。一応本人、無駄を極力排除してるつもり。
一つのスレは、基本、一つの気づきをテーマにしており、そこから外れないようにしている。しかし一つの気づきは、必ず複数の別の気づきとリンクしている。それら「周辺気づき」を言語化ししないと、主題の気づきの輪郭が浮き彫りにならない。「周辺気づき」の言語化で主題の気づきを言語化する試み。
漫画では輪郭線を描くけど、絵画の指導では「現実には輪郭線はない」と言われる。小学生の時、先生にそれを教わって衝撃受けた。「ホンマや!輪郭がない!」それまで描いた絵は、輪郭線を描いてから中の色を塗っていた。しかし輪郭線なしに輪郭を浮き彫りにしようとすると。
周囲の色を塗ることで輪郭を浮き彫りにするしかないことに気がついた。確か小学校高学年になっての出来事だったように思う。私達は、実はそのものの輪郭を捉えることはできない。「それ以外」のものが輪郭を浮き彫りにしてくれるから輪郭を認識できる。これは「気づき」でも同じことが言える。
1つの気づきを明確に言語化しようとすると、「周辺の気づき」を言語化しなければ、目的の気づきを言語化できない。となると、必然的に1つの気づきを言語化しようとしたら、複数の「周辺気づき」を言語化することになる。で、1つのつぶやきは1つの気づきを言語化するのが精一杯の文字数。
というわけで、私のつぶやきは、1つの主題の気づきを言語化しようとしてるだけなんだけど、「周辺気づき」の言語化を伴うことがどうしても必要なので、長くなってしまう。
ただ、読んでる皆さんが何故私の長文にお付き合い下さる場合が多いのか、という点を考えてみると。
「あ、さっきの気づきはこの気づきと関連してるのか」という発見を、1つずつのつぶやきに感じてもらえるからかもしれない。1つつぶやきを読むごとに、主題の気づきの周辺が色づき始め、「輪郭」が浮き彫りになっていく感覚を覚えて頂けるのかもしれない。
まあでも、それは読み手の事を考えてやってるわけではない。私自身が言語化したいと思い、できる限りムダがないようにしたいと思ってやってる作業が、たまたま思考の過程を読む人にも追いやすいという結果になっているだけだろう。狙ってできていたわけではないと思う。
1つ言えるかな、と思うのは、「このつぶやきは要らんかったな」というのは1つも書かないようにしていること。つまり、主題の気づきを明確にすることに役に立たないことはスルーしてる。主題への関心をなくすことはない。常に主題をめぐって歩いてる。
「主題から離れない」というのも、長文なのに読んでもらえる理由なのかもしれない。動画で、絵が次第に出来上がっていくものは、目が離せなくなる。あれと似て、つぶやきを追うごとに言語化が進み、輪郭が浮き彫りになっていく様子がわかるから読んでもらえるのかもしれない。
たまに、私が長文書いてるのを見て「まねてみる」人がいる。ただその場合、
・主題の気づきから離れてしまうことがある。
・1つぶやき1気づきにならず、複数のつぶやきでようやく1つの気づきになるなど、やや冗長。
・周辺気づきの言語化をしようとしていない。
などの課題が目につく。
逆に言えば、
・主題の気づきから離れない。
・1つぶやき1気づきに圧縮。
・周辺気づきの言語化で主題気づきを浮き彫りに。
ということに気をつければ、長文であっても読みやすくなるのかもしれない。
今回は、自分のための言語化でもあるけど、気づきを言語化したい人に参考になれば幸い。