口下手でも、趣味がなくても、黙っていても、いられる居場所
まだ子どものころ、たまに親父さんが居酒屋に連れて行ってくれたのを思い出すと、ちっともしゃべらない男性がいたりして、でも店のみんなが一員とみなしていて、その人の定位置だと認めている席があったりして。口下手でコミュニケーション能力が低くても、居場所があったんだな、と思う。
私の塾に来ていた不登校の子どもが、北海道に旅行に行った。ライダーハウスに泊まり、端っこにいたら、「一緒においで」と何度も誘われ、断り切れずに車座の中に。人と話すのが怖いその子は黙っていた。けど、車座の一員として皆が認めてくれていることがわかり、居心地よかったという。
口下手で何もしゃべらない。ただその場にいるだけ。それでも一員として認めてくれる。居場所がある。そんな空間を、いま、見つけることが困難になっている。
趣味を作ってその空間に行くとか、人の話に合わせるとか、かなり能動的に動かないと居場所を見つけられない。
そこにいるのが当たり前で、その人がいるのが当たり前。そんな居場所をみつけるのに、非常に苦労する時代。私の父の世代なら、いきつけの居酒屋やスナックを1軒見つければ、居場所が見つけられた。しかし、今はどうもそういう空間としての居酒屋も見つけにくい。
男性は特に、定年退職するまで会社の人間関係のネットワークに安住していることが多いので、定年退職してしまうと、人間関係のすべてを失ってしまうことがある。会社と全く関係のない世界で人間関係を紡ぎ直す経験がなかったりする。昔なら居酒屋かスナックに入り浸って居場所を見つけられたが。
女性は、結婚や出産で過去の人間関係を一気に失うことを覚悟したり、あるいは実際に経験したりするため、人間関係をゼロから再構築することに意識がある人が多い傾向を感じる。しかし男性は、定年退職まで会社の人間関係に安住し、油断しているケースが多いのかもしれない。
それでも趣味か何かを持って、能動的に居場所を見つけられる人はそれでよい。しかし、そうした能動性を持てず、口下手で、人付き合いも苦手な人は、居場所を見つけにくい。取りに来ない人間に居場所を与えないという空気が、今の社会にはどうも感じられる。生きづらい世の中。
どうしたら、口下手でもコミュニケーション能力が低くても、居場所をあっさり見つけられるようにできるだろうか。孤独、孤立に苦しむ人の割合が非常に多い社会。もっともっと、何もしなくても居場所を見つけられる、そんな社会に変えられないものだろうか。
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