その「食品ロス」は本当に食品ロスなのか?

食品ロス削減に熱心な学生が演壇に上り、「農家の現場ではまだ十分食べられる野菜が大量に捨てられているのを見てショックだった、これを売って食べれば食品ロスは減らせる。規格に合った野菜だけを売るのはおかしい」と訴えていた。会場にいる人達もウンウンとうなづいていた。

そんな中、私に話が振られた。「実は規格外の野菜を出荷しようとすると食品ロスが増える」という話を始めた。
「曲がったキュウリは箱の中にうまく収納できず、輸送中にガサゴソ動く。するとスーパーに届く頃には傷だらけになる。かたや、真っ直ぐなキュウリは隙間なく詰められるから傷つきにくい」

「トマトが数個ずつパックされてるのは、プラスチックとラップなどの資源無駄遣いに見えるかもしれない。けれどああでもしないと、日本の柔らかくて傷つきやすいトマトを店にまで届けることができない。」

「傷ついてもいいじゃないか、と思われるかもしれない。けれど傷ついた野菜のために無事な野菜と選別しなきゃいけないし、汁で汚れた野菜を拭かなきゃいけない。それに人手と手間をとられる。何なら本来良品だったものも捨てなきゃいけなくなる。そう考えると、規格に揃えるのは食品ロス低減になる」

「それに、傷ついた野菜とかはどうしても売値が安くなる。でも、消費者はその野菜でもうお腹いっぱいになってしまう。すると、農家はキズ野菜の価格でしかものが売れず、売上が減る。それでは年老いた両親を病院に通わせたり、子どもを学校にいかせたりする生活費がまかなえなくなる」

「農家がまともに生活するには、野菜がまともな価格で買ってもらえることが重要。となると、安いキズ野菜で消費者にお腹いっぱいになってもらうのではなく、まともな野菜をまともな価格で買ってもらうことが、重要。農家も生きていかねばならないのだから」

「それに、農場で出るキズ野菜を食品ロスと呼んでよいのかも疑問。キズ野菜は畑にすき込む。すると肥料になる。ならばムダとは言えない。食品ロスは、消費者が手に取る売り場以降のステージで考えるべきではないか。農家のステージで食品ロスとみなすのは、いろいろおかしいように思う」

恐らく学生さんは、世間で流布している食品ロスのイメージを鵜呑みにしてしまったのだろう。そして農家の現場に行き、大量の野菜が捨てられているのを見て、その思い込みを強化してしまったのだろう。なぜそうするのか、現場の人に尋ねてみることをしないで。

そうするのには、それなりの理由がある。現場の人の話をよく聞き、世間で流布されている表面的な説を本当に鵜呑みにしてよいのか、自分で再構築する必要がある。現場を見るまではその学生さんも大したものだが、現場の人に「前提を問う」を怠ったのは、ちと残念だったかな、と思う。

追伸。
現場の人に「問う」のにも工夫が必要。「なぜ規格通りのものしか出荷しないのですか?」と尋ねても「農協がそうしろと言うから」「スーパーがそれを求めるから」としか回答がこない可能性がある。それでは他責的な答えしか帰ってこず、深まらない。

「もし規格外を送ったらどうなると思いますか?」と問えば、恐らく答えはかなり変わったものになるだろう。「ゴソゴソ動くし、それだと野菜同士がぶつかって、届く頃には傷だらけになって売り物にならないだろうね」と、答える人の言葉も深いものになるだろう。

もし今と違うやり方をとってみたとしたら?を問うと、問われた側も主体的に考え、起きるであろう様々な問題に気がつき、答えやすくなる。取材するにも、問い方って重要。

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