自分を理解してくれる人はいない。たとえ親であっても。

これを投稿していまバズってるけど、実は子育てにおいては、「親といえどわからんものはわからん」という接し方をしている。
https://note.com/shinshinohara/n/nba47fd9a030c?sub_rt=share_b&d=ta1
塾を主宰していたとき、必ず親子に来てもらって三者面談をしていたのだけど、入塾のときはほとんどの場合、親(ほとんどが母親)がしゃべる。

自分の子どもがどんな性格で、普段どんなふうに過ごしていて、どんな問題を抱えているかを親が全部しゃべってしまう。そのままだと子どもが一言もしゃべらないで終わってしまいそうな勢い。その間、子どもは、たいがい苦虫噛み潰したような顔をしている。「また言ってる・・・」てな感じ。

「君はどうしたいのかな?」と子どもに直接語りかけると、それでも親が引き取って答えてしまうことがある。いちおう聞いた上で「お母さんはこう言ってるけど、君はどう思ってるのかな?」と聞くと、中学生くらいだと口下手だが、つまりながらも答えてくれる。すると。

本人の口から出てくる本心を聞いて、親も「我が子はこんなふうに考えていたのか、知らなかった」という反応が多い。特に中学生ともなると思春期に入り、親にあれこれ打ち明けたくないお年頃。だから黙っていることが多い。このため、親もなかなか本音を聞き出せなかったりする。

塾でさんざんこうしたシーンを見てきたので「子どもの気持ちは、親といえどもつかみきれない」と考えている。子どもには、親に言えない、言いたくない秘密がある。ならば、子どもの理解をしてやれるなんて考えるのは傲慢だと言ったほうがよいだろう。

ここで冒頭の記事に戻るわけだけど、親だからって子どものことを理解してやれるはずがない。だから私やYouMeさんは、子どもが何か不満を持っているとき「口にして言わないとわからないよ」とよく言っている。親が先回りして察するのではなく、子どもが口にするまで「後回り」する。

恐らく親がこんなだから、「親といえど自分のことは話さない限り理解できない、なんなら話しても理解できるとは限らない」と子どもたちは考えていると思う。この世のどこかに自分を理解してくれる人がいる、という幻想や願望は、恐らく育っていないように思う。

他人は、自分から何らかのアクションを起こさないと動かない。親といえど他人。子どもがどんな感情でいるのかは読み切れない。たとえ察することがある程度できていても、それを言葉にして伝えるまで、親が先回りして動かないようにする。うちではそうしている。

子どもが話し、説明しようとする限り、それに耳を傾け、理解しようと努める。それはする。でも、親でも誤解することがある。正確に理解することができるとは限らない。親は超人でも超能力者でもない。平凡な、子どもと同じ人間でしかない。自分を特別な人間として扱わない。子も人間なら、親も人間。

さて、子どもたちがこれから大きくなったとき、子どもたちはどう考えるようになるのかはわからない。ただ、家庭生活においてさえも、「きちんと説明しなければわかってもらえない、なんならそれでも誤解されることがある」という環境で、うちの子たちは育っている。

「自分のことをわかってくれない」と不満を持つ子どもは、親が子どものことを全部わかってるつもりになっている、あるいはそう振る舞っている傾向があるように感じる。でも実際にはわかっていないわけで、「わかってほしいのにわかってくれない」という不満が生まれていた様子。

他方、よくも悪くも放任で、子どもの好きにさせ、子どもが何か言っても「ワシにはわからん、お前から先生に話せ」と、子どもの気持ちがわかるフリをしない親御さんの子どもは、「わかってくれる人がいない」ことに不満を持つことはない。そういうもんだ、といい意味で諦めてる。

もしかしたら、「誰かに自分の気持ちをわかってもらいたい」という、この世に生きる限り不可能な願望を持ってしまう原因は、親御さんが「子どものことは全部わかっている」というフリ、言動をすることに原因があるのかもしれない。親は当然、子どもの理解に失敗するわけだけど、

「お前のことは全部わかっている」という人に育てられたことで、「全部わかってくれる人」がこの世のどこかにいるものだと子ども心に思い違いしてしまうのかもしれない。
この願望はある種の「呪い」。そんな人に出会えることはまずないから。下手にこの願望を抱くと、騙される可能性が高まる。

「この人は私のことをものすごくわかってくれる」と感じてしまったとき、強くその人に依存してしまうことが起きてしまう。自分のことを理解してくれる人がほしい、そんな人と出逢いたいという願望が強いと、そこにつけ込む人物に利用されてしまうこともあるようだ。

もしかしたら親は、全知全能のフリをせず、子どものことをすべて理解しているつもりにもならず、子どもよりも優れているなどとも考えず、同じ人間であり、理解力が限られ、誤解もよくするけど、あなたのことが好きですよ、という等身大のほうがよいのかもしれない。

あなたのことを好きでいてくれる人はこの世にいる。でも、自分のことを全部わかってくれる、理解してくれるなんて幻想は通じない。人間は十分にわかり合えないけど、言葉を通して、誤解もときに混じりながら、紆余曲折を経て生きていく。そうした生き物なのだよ、と、親は伝えるべきなのかも。

人間という限りある身が、やはり限りある身である周囲の人たちと語り合い、誤解され、誤解を解き、そんなこんなのゴタゴタも含めてワイワイやっていく。それが人間という生き物の生き方なのだ、ということを、親子の間でも普段の生活で感じられたほうがよいのかもしれない。

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