第三者から必要とされるには

刑務所での刑期を終えた人を「自立」させようとして失敗する話を聞くと、孤独が大きな原因であるようす。住居も用意され、仕事も確保できて、経済的には「自立」できても、人間はそれだけでは心が満たされないらしい。自分を必要とする人がいない中では、人がいても孤独は埋められないらしい。

人間は、誰かとつながりを感じるだけでなく、自分を必要とする人を必要とするらしい。そしてそれは、自分の親ではなく、第三者。
親は、年の順番で行けば、先立つ存在。いつかこの世からいなくなる。だから子どもはどこかで、親がいなくなった、第三者ばかりの世界で生きていくことを意識している。

第三者の中に、自分を必要としてくれる人が現れることを、みんなどこかで望んでいる。会社というのは、仕事を割り当てることで各人が必要とされてる感を味わえるシステムとして機能している。しかし犯罪に手を染め、そのシステムから排除された前科者は、第三者と結びつくのが難しくなる。

再犯率が高いのは、そのためかもしれない。排除され、第三者とつながる機会が難しくなり、その孤独のあまり、犯罪集団という「自分を(まだしも)必要としてくれる」第三者に身を委ねてしまうのかもしれない。

社会が目指すべきこと、それは「誰もが自分を必要とする、あるいは面白がってくれる第三者を見つけることができる社会」なのかもしれない。そうした社会が、健全な運営の中で築けるのだとしたら、かなり幸せなことかもしれない。

麻薬やアルコール、ギャンブルの中毒症になるのは、麻薬などが「お友達」の代わりになるからだ、という。自分を必要としてくれる第三者が見つからない孤独を、それらにのめり込むことで紛らわそうとする。それが中毒という症状なのだという。

ベトナム帰還兵の多くが、従軍していた際に麻薬に手を出していたのだが、帰還後も麻薬をやめられない人間とそうでない人間とに分かれたという。前者は孤独に苦しみ、後者は家族ができて、自分を必要とする存在ができていたという。

マウスに麻薬入りの水と普通の水を与えた場合、孤独なマウスは麻薬入りを好んで飲み、中毒になるという。しかし家族と一緒のマウスは麻薬入りの水を嫌がり、普通の水を好むという。
どうも、麻薬中毒になるのは孤独と関係しているらしい。

人間は、自分を必要としてくれる人がいると強くなる。必要としてくれる人のために犠牲となることもいとわない。そのくらい、自分を必要としてくれるという感覚は、とても大切なものらしい。

劉備はそのことをよく知っていた。あれだけ負け戦が多く、知略も武力もない人物だったのに、孔明や張飛、関羽などの軍師や豪傑が離れようとしなかったのは、必要とされている、という感覚を強く与えてくれる君主だったからだろう。

第三者で自分を必要としてくれる人と出会うのは難しい。
農業社会の時は、水路の管理など、共同作業が多かったから第三者から必要とされる経験は多かったかもしれない。しかし個に分断された現代社会では、会社以外で自分を必要とする第三者と出会うのは困難。

自分を必要としてくれる、あるいは面白がってくれる第三者と出会える社会。それを構築するにはどうしたらよいだろうか。もしそれが可能なら、かなり楽しく生きがいを感じられる社会になるように思う。どうすればよいか、一緒に考えて頂きたい。

その意味でも、「自立」という言葉は、私達の意識をミスリードする気がする。経済的自立の条件さえ整えればそれでよし、だと、孤独に苦しむ人が出る。秋葉原で連続殺人を起こした犯人は、自分を必要とする第三者がいなかった様子。世間から見放された感覚を持っていたらしい。

自分を必要としない社会なら、必要としないばかりか存在を無視する社会なら、無視できないような犯罪を犯してやる、という逆ギレに進んでしまう。人間は、第三者の誰からも必要とされなくなると、犯罪であっても振り向かせてやる、という意識にシフトするらしい。

自分の息子を殺した元事務次官の事件があった。親としてできる限りのことはしていたようだが、子どもは第三者から必要とされる感覚を持てなかったらしい。親は第三者になり得ない。
やがて通り魔事件を起こすぞというような脅しもするようになり、ついに手をかけた、と。

現代の日本では、第三者とつながるには勉強をし、社会に役立つ人間にならなければ、と脅される。
しかしそのレールから外れてしまった、という感覚が、元事務次官の息子にはあったのだろう。
いや、その感覚を植え付けたのは、他ならぬ親かもしれない。

第三者から必要とされるにはどうしたらよいか。それには、自分の方から第三者の姿、やることに驚き、面白がることなのではないか、と思う。
YouMeさんが赤ちゃん産んで初めての公園デビューのとき。YouMeさんは公園で走り回る子どもらに驚きの声を上げ、赤ちゃんに実況中継した。

すると、子どもは、自分のパフォーマンスに驚く大人がいることに気がつき、「ぼく、こんなこともできるよ!」とアピール。すごいすごいと驚くごとにハッスル。そのうち「その赤ちゃん、おばちゃんの子?」「そうなの、一緒に遊んでやってくれる?」というと、子供らは喜んで世話してくれた。

その様子に驚いて近づいてきた親に、YouMeさんは「優しいお子さんですねえ!」と驚いてみせた。すると嬉しそうに、地域のお得情報を教えてくれたり。
そうか、人と仲良くなるには、まず第三者の様子に驚き、面白がればいいんだ、と気がついた。

第三者の様子に驚き、面白がれば、その人は嬉しくなり、心を開く。すると、互いに相手を喜ばせようとしたくなる。そして互いに必要とする関係を築けるらしい。
第三者に必要とされるには、第三者の様子に驚き、面白がること。そうしたことを知っているのとそうでないのとでは、かなり違うように思う。

犯罪を未然に防ぐ方法。それは、私達一人ひとりが、できる範囲でよいから、他人の様子に驚き、面白がることを始めることなのかもしれない。自分が仲良くなりたいと思う人からで構わない。しかしそうした意識を持つ人が増えると、社会は大きく変わるかもしれない、と思う。

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