「能力のある人間しか要らない」考

株主資本主義者やそれに影響されている人は、よくこのことを口にする。では、能力者だけ集めようとしてうまく回るかというと、うまくいかないと思われる。そんな職場は安心ができないからだ。

働きが必ずしもよくない、成果があまり出ていない人もあまりバカにされず、それなりに生活できている職場は、能力者にとっても安心できる場となる。「もしうまく行かなくてもここなら生きていける」その安心感が大胆さを生み、才能を引き出す。画期的なアイディア、成果を出す土壌が生まれる。

もし無能者は要らないと公言し、成果の出ないものをバカにし、身を小さくしなければならないか、あるいは職場にいられなくなるような環境だと、能力者も不安になる。「こんなところで失敗したら取り返しがつかない」失点の少ないアイディアしか出さず、成果は小粒に、プレゼンだけ大仰になる。

私は才能がないことに関しては自信があるが、それでもクオルモンの研究や有機水耕の世界初の実用化、土壌創製技術の開発などで学会で話題にしてもらえるような成果を出し続けられたのは、まさに「安心できる職場」だったことが大きい。職場には、残念ながら10年鳴かず飛ばずの研究もあったりする。

しかしそれでも研究を続けられるという環境が、私を大胆にした。まだ世界で誰も成功したことのない分野に飛び込み、まだ誰も試したことのないアプローチをしてみたことで、成功をつかんだ。が、いずれも「運」が良かったのには違いない。しかし運をつかめたのは、大胆に失敗できる環境があったから。

もし理化学研究所みたいなところに行っていたら、私みたいな人間は萎縮してなんの成果も出せなかっただろう。みんなものすごい研究成果を引っさげてる人たちばかりで、「こんな世界で生きていけると思えない」と悲観して、研究どころではなかっただろう。

理化学研究所みたいな所で研究するには、能力だけでなく図太さも必要。「俺は誰よりも能力の高い人間なんだ」という信念が支えにないとやっていられない。私のように、自分の能力に常に懐疑的な人間は潰れてしまう。才能に自信のない人間の才能を引き出す環境ではないように思う。

そういう意味では、私のような才能も能力も欠けている(実際、私は実験の手技が不器用で下手くそ)人間は、大して成果が出なくても生きていける世界のほうが大胆になることができ、才能以上の挑戦が可能になることで、成果を引き出すことが可能になるのだと思う。心理的安全性がとても大切。

ダニエル・ピンク氏のプレゼンはその点で大変興味深い。テーブルの上にロウソク、マッチ、画鋲があるのを見せて、「机にロウが垂れないようにロウソクを壁に付けてくれ」というお題。
一番早く回答できた人に賞金を用意したグループと、賞金を用意しないグループとで比較。
https://www.ted.com/talks/dan_pink_the_puzzle_of_motivation?language=ja

すると、賞金を用意せず順位を競わせなかったグループのほうが答えにたどり着くのが早かった。賞金を用意したグループの方が思考を硬直させ、正解にたどり着くのが遅かった。
これは、賞金をぶら下げたことで「一番になれなかったら意味がない」と焦りを生み、かえって大胆な発想を難しくしたから。

リチャード・ウィルキンソン 「いかに経済格差が社会に支障をきたすか」このプレゼンも興味深い。国同士の格差は気にならないが、国内での格差は様々な問題を起こす。実は、イノベーションを起こすアメリカンドリームをかなえるには、アメリカではなく北欧の方が有利。
https://www.ted.com/talks/richard_wilkinson_how_economic_inequality_harms_societies?language=ja

ウィルキンソン氏のこのプレゼンまでは、日本は格差が小さい国だった。しかし今や、イギリス、アメリカに次いで格差が大きくなっている。格差拡大を始めた2000年代に入ってから、日本企業は世界的な商品をろくに作れていない。その前にはデジカメとか、世界商品が山のようにあったのに。

小泉旋風が日本文化を根底から変えてしまった。小泉旋風は評価すべき点も多々あるが、「ミニ小泉」を日本全国に生み出す副作用は大きかった。部下の話を聞かず、逆らうものはすべて「抵抗勢力」とし、大胆に改革を進めるリーダー、という自画像に酔いしれるリーダーが全国各地に現れた。

ここに竹中平蔵氏の新自由主義が流行し、「ミニ小泉」たちを魅了した。能力あるものは引き上げ、能力のない人間、企業は退場し、再教育を受けてもらう。竹中氏は「セーフティーネット」とよく口にしたが、それを準備する動きは全く見せず、ただ無能とみなした人間を平気でリストラする風潮を生んだ。

つまり、ウィルキンソン氏が高く評価した、格差が低いがゆえに安心があり、多くの社員が大胆な失敗を繰り返せる度量が、企業から急速に失われた。「ミニ小泉」は「大胆な改革」を旗印にしたが、大概は思い付きでしかないもの。部下の自由な発想をくみ取らず、PDCAと言いながらプランばかり肥大化。

部下たちが、現場感覚から「その計画では必ず失敗します」と警告しても「因習を守り、何もしないことを選択する臆病者たちの言い訳」と「ミニ小泉」はとらえ、耳を傾けようとしなかった。懸念通りのことが起きても「お前たちの努力不足だからだ」と責任転嫁をして、自分のプランに誤りを認めない。

事業には大胆さが必要だが、初めて行う要素がビジネスには含まれている以上、試行錯誤の面が必ずある。誤りが見つかれば現場からの報告を受けて柔軟に修正を加え、道筋をつけるのが大切。しかし「ミニ小泉」は着想のすばらしさに酔いしれており、うまくいかないはずがないという「信念」に毒されてる。

こうした「ミニ小泉」は、株主資本主義と相性が良かった。プレゼンが上手だから。プランだけなら大胆で素晴らしく見える未来像を描ける。現場を知るものならツッコミどころ満載でも、「ミニ小泉」は聞く耳もたないから、プレゼンは欠点のない、迷いの見られない素晴らしいものになる。

こうした素晴らしいプラン、プレゼンは投資家たちを魅了しやすい。投資家にもいろいろあって、プレゼンのうまさを利用して「どうせうまくいかないだろうが、多くの提灯投資家の目を奪うことはできる」と考えて投資を進め、自分だけ売り抜けるという戦略を立てることも可能。投資家は儲かればよいから。

しかし現場の人間は違う。お客様に素晴らしいプランを見せてしまった「ミニ小泉」の不始末の尻ぬぐいをするのは、現場のスタッフ。しかし「ミニ小泉」はプレゼンがうまいので高い報酬を役員会で認めてもらえ、現場は尻拭いのひどい目に遭い、顧客から叱られ、散々な目に遭う。

挙句の果てに、業績が伸びないのは現場の能力が低いからだと責任転嫁され、リストラ。「ミニ小泉」の夢物語のせいで現場がズタズタにされたのに、投資家たちからは評判が良いものだから退任まで逃げ切れる。現場は「ミニ小泉」のプランが破綻しないようにごまかすことに終始させられ、疲弊。

以上のような概要が、小泉旋風、竹中平蔵路線の生み出した日本の惨状だと私は考えている。そして、日本がダメなのは格差が小さすぎるからだと見当違いな「治療法」を提案し、ますます事態を深刻化させようとする輩がいる。これでは、中世西洋の「治療と言えば瀉血(血抜き)」と同じ。

ウィルキンソン氏によると、格差を小さくする方法は何でも構わない、という。スウェーデンは、所得格差は大きいが、政府が高い税金をかけ、再分配で格差を小さくしている。日本は収入格差を小さくすることで格差を小さくしてきた。しかしここにきて、格差が小さいとはとても言えなくなってきた。

貯金額の平均値は317万円なのに全体の53%が貯金100万円以下、という実に奇妙なことになっている。平均値はかなり高いのに、半数以上が貯金100万円を持っていない!これは、バカみたいにお金を持っている資産家が少数だけどいるという証拠でもある。
https://www.atpress.ne.jp/news/190356?fbclid=IwAR3PDlZSp6S_E_6MTP6ZsTMRIq2Tt0MxsVBA-Q9s-lNAKFdhdHmieHvotbU

男性の10%、女性の40%が年収200万以下。ギリギリの生活を余儀なくされている。昔は、平均年収の人口が一番分厚くて、左右に低くなる正規分布に近い賃金になっていたのに、今は低賃金層が分厚い、正規分布から崩れた形になっている。
https://heikinnenshu.jp/tokushu/workpoor.html

日本の弱体化は、格差を拡大する方向に社会のかじを切ったことにあるように思われてならない。失敗を理由にしてスポイルし、有能な人間も萎縮させる社会。これによって大胆さを社会全体が失い、ますます貧しくなる悪循環。
まずは、格差を小さくする努力から始めるしかない。私はそのように思う。


格差を小さくしつつ、失敗を許容する。何も成果がない状況を一定程度許容する。その辛抱強さを経営者が(できる範囲で)もつように努力することを社会的に推奨する。それにより、社会に大胆さを取り戻し、社員の能動性を引き出す。それが非常に大切なことのように思う。


これも一応貼っておく。
こんなことがあるから、人間の能力って、本当にわからない。死ぬまで分からないどころか、死んでもわからない。

「頭が悪い」なんて死ぬまで分からない、死んでも分からない|shinshinohara #note https://note.com/shinshinohara/n/n74b8850ec736

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